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なの花日記バックナンバー エッセイ

知事の歩み

私が4年間で実現できたこと

まず、私は県民の声を聞くために、県内79の全市町村を回る「菜の花県民会議」を開催することから始めました。 そこで1,414件もの政策提言が寄せら れ、その中から新しい政策や施策、条例などが生まれました。

三番瀬問題については、160回を超える委員会に6千人以上の住民、漁業従事者、環境NPO、専門家が参加して議論を重ね、 三番瀬再生計画を2年がかりでまとめました。 公共事業中止後の再生計画を市民参加で作り上げたのは、日本で初めてです。これこそ、まさに政策提言型デモクラシーです。

福祉関係のタウンミーティングは、使い勝手の悪い制度を改善したいとの熱意と意欲が噴出し、回を重ねるごとに参加者が増え熱気を帯びてきました。 このタウンミーティングから、障害者や家族、そして地域住民が、「誰もが自分らしく地域で暮らす」という理念のもと、 「地域福祉支援計画」や「障害者計画」を作 りました。 実行段階でも、行政と民間が協力して計画を実践していこうという「うねり」が生まれていることも、大きな成果だと思います。

県民が参加して政策づくりを進めていく動きは、福祉やNPO、環境にとどまらず、住宅や道路、就労や教育、農業、観光など、 さまざまな分野が重なり合い、総合政策のレベルに広がっています。

たとえば福祉の計画づくりに参加した人たちは、すべてを公的サービスに頼るわけにいかないこと、 あるいは公的サービスに適さないものもあることに気がつき、住民自身がサービスを有償で提供することにしました。

これによって地域のニーズに的確に対応できるほか、就業の場も確保されます。そして何より、新しいコミュニティーづくり、地域の再生が実現するのです。

様々なタウンミーティングの中で画期的だったのは、「子どもタウンミーティング」です。

小学生が言いました。「大人のワクに子どもをはめこまないでください。急いで答えを求めないでください。子どもにもっと時間をください」と。 今までは、 専門家が教育施策を作ってきましたが、これからは、子どもの視点も大事にしていくべきだと思いました。 学力を向上させるとともに、自信と誇りを持ち、未知 に挑戦する勇気を持つ子どもを育てるための教育を行わなければいけないと考えています。

千葉県は日本の縮図といわれるほど、戦後に急成長した県です。そのためもあって、バブル崩壊の影響は大きく、巨額な借金をかかえ、 就任当時は最悪の財政 状況でした。 そこで、思い切った行財政改革を行い、3年間で740億円の歳出と870人を削減しました。 外郭団体では、7つの団体を統廃合するとともに、 640人の職員を減らしました。それでも前途はまだ多難です。 引き続き、きびしい行財政改革を進めていかねばなりません。

911億円という巨額の債務をかかえた住宅供給公社問題は、他に例を見ないほどの規模で、解決に2年以上の歳月を要しました。 何より、県民への不利益を 最小限にとどめるよう、努力したところです。

成田紛争という不幸な出来事のため、千葉県には全国で唯一、収用委員会という組織がありませんでした。 そのため、インフラ整備のために土地を思うように 確保することができず、道路や鉄道の建設が遅れています。 そこで、可能な限り話し合いによる解決を最優先すること、「成田」には適用しないこと、という条 件で、私は「収用委員会」を再建いたしました。

4年前、全国で不法投棄される産業廃棄物の約1/3が千葉に捨てられていました。 そこで、県独自の産廃条例の制定・365日24時間のパトロールなど対 策を強化し、不法投棄量を18万トンから1万トンに激減させました。

2001年には117しかなかった千葉県のNPOは、4年後のいま、785(全国4位)に増え、福祉や環境、まちづくりなど多くの分野で市民活動が活発 になっています。 今後もNPO立県をめざします。

就任直後に、日本で初めて自治体病院に女性専用外来を開設しました。女性専用外来は、千葉から全国にたちまち広がり、 性差医療の重要性が認識されるよう になり、この努力に対し、米国コロンビア大学から「アテナ賞」が千葉県に授与されました。

2001年にDV(ドメスティック・バイオレンス)法が施行されると同時に、女性サポートセンターを開設し、一時保護や24時間の電話相談などを実施しています。 2003年度の相談件数は、2,776件を数えました。