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私の見たベビーホテル


私の見たベビーホテル[1]

夜の仮眠たった2時間 過酷な条件下で働く保母さん。

法的規制のないベビーホテルでは、場所、料金、保母の数から食事の内容まで、すべて経営者の腹一つで決まる。 経営者の資格も問われないから、これまで保育には無縁だったキャバレー業者、不動産業者、タクシー運転手やラーメン屋さんたちも園長先生に変身している。 以前は水商売をしていたという園長さんは「お母さんへの応対と電話の受け答えが上手な保母を優先して採用する」といって胸を張った。 まず商売、子どもの扱いの上手下手は二の次という 感じだった。こうしたベビーホテルに勤める保母さんたちの労働条件は過酷そのものといっていい。 子どもの世話以外に掃除、洗たく、買い物、調理から後片付けまでしなけれぱならない。保育料の計算事務までやらされる。

私の見たベビーホテル[2]

私は豊島区のある保育園に泊まってみた。16畳ほどの部屋に0歳児から小学生までの子どもが46人。 文字通り足の踏み場もないありさまだ。場所が狭いので、2人の保母さんが、2度に分けて子どもたちに食事をさせる。 パジャマを着せ、日によってはおフロにも入れるから、戦争のようなさわぎだ。

10人ほどの赤ちゃんたちに離乳食とミルクをあげる番が回ってきたのは夜の8時過ぎだった。 1歳になるなおちゃんが、全速力でハイハイして保母さんに近づき、ひざ頭にしがみついた。疲れ切っているのだろうに、そんな、なおちゃんに笑いかける保母さん。

私の見たベビーホテル[3]

生後2カ月半でこのベビーホテルに頂けられて以来、なおちゃんは10カ月もの間、一度も家に帰っていないのだ。 時々、様子を見にくる母親に「お母さんが自分で育てないと、なおちゃんはだれがお母さんなのか、わからなくなりますよ。早く連れて帰ってあげて下さい」 と経営者にかくれて忠告する保母さんに、お母さんは寂しくうなづくだけ。彼女がどんな生活をしているのか想像もつかないと保母さんはいった。

その夜、私はなおちゃんの隣に寝た。4畳半に赤ちゃんばかり10人も寝ているのだから、うっかり寝返りもうてない。 午前3時、保母さんたちは、2時間ほど仮眠しただけで、朝食の用意を始めた。5時には子どもたちに食事をさせないと、7時に出発する送迎バスに間に合わないからだ。

私の見たベビーホテル[4]

ベビーホテルは、保育園はもちろんのこと乳児院、養護施設、学童保育、一時預かり、病児保育から育児相談まで、実に多くの機能を果たしている。 そのことが、かえって、預けられた子どもたちにとって不幸ともなる。特に長期滞在児の間題は大きい。

5歳になるたかとし君のお母さんは、日曜日には必ず迎えに来ていたのに、3カ月ぐらい前からぱったりこなくなった。 最近、たかとし君は、他のお母さんが迎えにきても戸口まで出ていく。お母さんを待つ気持ちがつのっているのだろう。 「たかとし君のお母さん死んじゃったんだよ」  とその言葉の重みもわからずに、他の子どもがからかった時、たかとし君は外へ出て大声で泣いていた。 たかとし君だけではない。1年、2年とべビーホテルに放置されている子どもたちは、他の子たちが母親や父親と帰ったあと、常に取り残される

私の見たベビーホテル[5]

「どんなに愛情に飢えているか、見ていてよくわかります。でも、あまりに忙しくて何もやってあげられません。」

そういいながらも、母親にかわって真剣にしかり懸命に子どもたちを育てる保母さんたち。 だが、そんな保母さんの1人は、自分のやれることに限界を感じ、ベビーホテルのあり方に疑問を抱いたといって、最近、職場を去った。

なおちゃんのことを思うと、後ろ髪を引かれる思いだったという。

信じられないかもしれないけど、現在、乳児院も養護施設も定員を割っている。昨年の公立乳児院の充足率は、わずかに56%。 公的施設がこんなにあいているのに、たかとし君やなおちゃんは、なぜ、ベビーホテルにいるのだろうか。

私の見たベビーホテル[6]

日本の場合、親が児童相談所なり、福祉事務所へ相談に出かけない限り、ほとんどの場合措置されず、イギリスのようにソーシャルワーカーが、 社会のなかから問題があると思われる子どもを救い上げるような努力をしていないことが理由の一つ。 たとえ、相談しても、たらい回しにされるなど  して、お母さんがいや気がさしてしまうためもある。 TBSが実施したベビーホテル利用者調査でも50%の人が、公的施設を時間の都合であきらめたり、入れる気がないと答えており、最初から行政を敬遠する姿勢をみせている。 「民生委員に相談しましたが、電話もフロもあるのはぜいたくだといって、保育園に入れてくれませんでした」 といって、公立をあきらめ、ベビーホテルに子どもを預けた母子家庭のお母さんもいた。

私の見たベビーホテル[7]

わずか1年前の話である。

「私が水商売をしているというだけで受け付けてもらえません。 2人の子どもを連れて離婚した女が、食べていけるだけの職を今の日本で簡単に得られると思っているんでしょうか。 生活保護を受けるか、母子寮に入れといいます。でも、私なりのプライドもあります。自由に生きる権利もあると思います。 今では堂々と水商売をする気持ちになりました。」と語りながら、子どもを運れていった母親もいた。

福祉の窓口の事務を簡素化し、児童相談員、福祉司など行政担当者が、相手の立場で考えられる柔軟な対応をしない限り、いくら施設をふやしたところで、ベビーホテル生活を送る子どもは後を絶たないのではないだろうか。         

                                                     

(初出/みちみだい・1982年 1月より抜粋)

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