番組センター
素顔のCreator 東京放送 堂本暁子
1982年4月
三好和昭(東京放送ニュース部副部長)


『赤ちやんは訴えるーベビーホテル考』は放送文化基金賞を受賞した。

受賞理由に「堂本暁子ディレクターをはじめ記者の地味な取材努力によって事実を記録的に伝え、かつ多大な反響をもたらした。」とある。

堂本暁子さんは好奇心の強い女である。と言ってもヘンな意味ではない。酒、食べ物、スポーツ、登山、小説、何でも面白く、好きになってしまう。世間の諸々の事が、関心の対象なのだ。

例えば、安くて雰囲気が良くて深夜まで心おきなく飲めるバーを発見したとする。彼女にこの話をすると「じや今夜行きましょう」となる。

もし絶海の孤島に擦着したとする。彼女は退屈のあまり一日で死を選ぶだろう。つまり無類の人間好きなのだ。

堂本さんは並外れた情熱家である。仕事であれ遊びであれ、これと決めたら突進して止まらない。「ウシロ」も「ヨコ」も視野に入らない。ただ前進あるのみ。テニスにこると寸暇を惜しんでラケットを振る。書道にやみつきになると、毎朝一時間は机に向かう。何事にも、ねばり強くマメでかつ真剣。

情熱のかたまりが疾駆するのだから、たいていのものは成就できよう。が、対象が異性に向かう場合、俄然、事情は定かでなくなる。堂本さんはロマンチストである。

取材対象にのめりこみ、激しく感情移入する。彼女の作ったものは、どこかに涙あり、笑いあり、苦悩あり、つまりはナマ身の人間が描かれている。しかも相手のフトコロに飛ぴ込んで、その気持を自分に同化させながら、なお次元の違う部分でレポートをまとめるのだ。

「感情」を刺激するのがテレビの真骨項とするならば、彼女は生れながらの“テレビ屋”といえようか。堂本さんは“すぐやる人”である。何かネタをみつける。丹念に資料を集め、分析し、構成を決めてからやおら取材にかかるーー彼女は決してこんな方法はとらない。

すぐ現場へ飛ぷ。カメラマンと一緒だから、状況の方がカメラの前で動いてくれる。小むづかしい説明は不要、絵をみればわかる。この手法だと仕事は増える一方、異質のテーマを同時多発的に取材することになる。従って戦線縮少に腐心することだってあり得るのだが……。堂本さんは凝り性である。

彼女の終生の夢はチベットを訪れることだという。ラマ僧か、ラッサの宮殿か、中世のイメージか、閉ざされた秘境の魅力か、ともかく何かが彼女をとりこにしている。しかし彼の地は、鎖国同然、容易に人を寄せつけない。

彼女は先年、訪中し、北京から南の昆明へと足を伸ばしたが、これもひとえにチベットに一歩でも近づきたかったからだという。そしてチベット語を学ぴ始めて数年たつそうだ。

堂本さんはよくも悪くも「女」である。20年も報道の空気を吸っていれば、殆んどの女性は中性化するのに、彼女は、優さしい心情と、時には品良く、時にはおキャンな山の手言葉を駆使することで、まさに女である。人を恋うることで女である。泣くことでも女である。

恐らく感情のヒダが奥深いのだろう。沢地久枝や向田邦子や潮戸内晴美の、感性の鋭い文章に揺さぶられるのも、彼女が、女であることの証明なのだろう。堂本さんは不思議な魅力のある人だ。

予盾、混とんは誰しも内面に抱えているが、彼女はそれでいて、底抜けの明るさ、人の良さを兼ね備えている。憎めない人。あどけない童女と、モーレツ女性の不思議な混血児。ベビーホテルのキヤンペーンは、全人格をかけて格闘したジャーナリストの記録である。何かに憑かれたような表情が消え、昨今はおだやかである。

しかし静止できない人だから、また走ってくれるだろう。がんばれ猛女!