クロワッサン
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ジャーナリストであることは、 常に自分の限界に挑戦し、闘うことでもあるんです |
1988年1月10日 |
堂本暁子(TBS報道局ディレクター) |
文字を持たない五感の文化なんです」 生活に疲れた大人たちや、無表情の子どもたちを見慣れた堂本さんは、そこでこう思いました。 「五感のすべてが、日本人よりもはるかに研ぎ澄まされているんです」五感ばかりではなく、アフリカの人たちは感性も豊かだったのです。旅の途中、西アフリカのコートジボアールを訪れたときのことです。 「一人として同じ服装をしていないんです。民族衣装の腰布の色も違えば、巻きつけかた、垂らしかたも違うんです。めいめいが自分のTPOを持っているんです」 この旅で、自らの感性のおもむくまま自然に暮らしているアフリカ人たちを通して現在の日本の危機的な状況が更に鮮明に見えてきました。 「感性よりも知識優先、技術優先。そこに価値観を置いていることが今日の日本の状況を作り出したのでは、と思ったのです」 「自然との闘いの中で生活していると憤りや喜びやつらさも大きい分だけ感受性も豊かになる筈です。全人口の4分の3が都会に住んでいる今の日本では、どんどん感性が衰えていってしまうのは無理もないことだと思うんです」 「鉛筆ば六角形でなくてはいけない。下敷きの色も白と黒でなくてはいけない。こうした画一的な教育環境の下では豊かな情趣が育つはずがないと思うんですよ」 「オールジャパンでそういうことをやっているんです。学校でも家庭でも」 「一見豊かに見える日本、何が豊かなのかなって思います。おいしい物を食べて人工的な環境の中で働くことと、人間関係が豊かで人間的に豊かであることとどちらが人間として幸福なのかと」 「ジヤーナリズムは、常に発見であり挑戦なのです。反体制的な場に身を置いて物事を見つめてゆくことが私の仕事なんです」 「政治、社会、文化を仮想敵と見なし、自分の限界に対し戦っているんです」 「対仕事で男である、女であるという部分でくくられるということはありません。だからこそ与えられた場を女として生かしていこうとは思ってますが」 合理性、論理性をつきつめてきた男性型社会に対し、感性や生活に根ざした女の側からのアンチテーゼを出しているわけです。 |