国会ジャーナル
国会から見たジャーナリズム
1991年11月18日
参議院議員 堂本暁子


I、国会と国民の関係

この夏、私はノルウェーのオスロを訪れ、2日間だけ開かれた臨時国会を傍聴する機会を得た。ノルウェーの人口は420万人。一院制で議席定数は165で、いまは、ブルントラント首相がひきいる労働党(社会民主主義)が政権をとっている。

ブルントラント首相はノルウェー初の女性首相で、内閣も半数が女性である。議会はオスロの中心にあって正面玄関の前は市民が散策する広場がひろがっている。日本の国会のように塀もなければ、門もない。

歩道に面した入口に人が並んでいるので聞くと、傍聴のためだといいうので、私も並んだ。飛行場のように、透かしのゲートをくぐり、荷物を預ければよい。議員の紹介がなければ傍聴できない日本とは大へんな違いである。名前を記入するでもなければ、身元を確認するわけでもなく、こうして外国人である私も、市民の列について3階まで登り、傍聴席についた。

正面の議長席に向って馬蹄形に議員席があるのは日本と同じだが、議長の向って左側には、Tシャツにジーンズ、といったラフな姿の人達がいる。「あの人たちは誰?」と、私は同行の友人に聞いた。

「ジャーナリストよ」と、彼女。驚いた。日本では、議員の両側にはずらりと大臣が並ぶ。あの雛檀に並びたいが由に、大臣をめざして権力争いをするとまで言われている場所が、なんとジャーナリストの席だというのだ。ブルントラント首相は、一段低い議員席の中央に腰かけている。その両サイドに閣僚が並ぶ。

ジャーナリストから、総理の、閣僚の、議員の表情がよく見える。私は、内心、思わずうなずいた。ジャーナリズムが「民主主義の番人」の役を果たすためには、ノルウェー型でなければいけない。ちなみに議長の左側は外国の大公使館の席である。国の内外に開かれた議会の構造だった。

私は1965年前後からほぼ四半世紀、日本の国会を取材したが、記者席は天井桟敷。議員の後姿、横顔しか見えない。それもはるかかなたにしか見えないのである。議員の表情も、見えなければ、ヤジも聞こえない。

自分が議員になって初めて、まわりできこえるヤジの面白さ、議員たちの表情の面白さを知った。例えぱ先日、青森県六ケ所村の核燃料廃棄物処理場をめぐっての日仏原子力協定の審議が行なわれたが、その時の青森県選出の三上議員は本当に撫然とした表情をしていた。

ぐっと正面を睨みつけているその顔は、強烈なものだった。そういった表情が、日本の記者席からは全然見えないのである。

日本とノルウェーの国会での席の違いは、そのままジャーナリズムの位置を象徴している。議会制民主主義をとる国の本質にもかかわる。第一に、主権在民の精神を守るには、国会審議は国民に開かれたものでなければならず、国民に伝える役を、開かれた国会たらしめる役を担っているのがジャーナリストである。

第二に、国民の信託を受けた議員、並びに内閣が国民の意思を議会に反映し、正しく審議しているか、否かの監視役はジャーナリストである。議員が国民に選ばれた代表であるように、ジャーナリストもまた、国民を代表する立場にある。天井桟敷に押しやってよい存在なのではないのである。行ってみれば民主主義の守り手でなければならない。

ところが日本はどうか。議場の構造からして、ジャーナリズムが国民の代表として遇されていない。その役を果たし、充分に機能しえない国会なのだということを、自分が議員になり、ノルウェーの例と比較してつくづく感じている。

もうひとつ、外国人記者の問題も、日本の議会の閉鎖性を表している。そもそも日本人記者でさえ、バッジ、帯用証がない限り取材ができないなど様々な制約があるのだが、外国人記者は国会の中に入ることすらなかなかできない。

どんなに日本語ができる外国人でも自由に入る事ができず、例えぱ、宮沢喜一氏が首相に指名された際の表情を、外国人記者は見ることができないのだ。これは外国人に対する差別であり、対外的に閉ざされた国会になっている。外国人プレスの批判はいまも大きい。

II、国民から見えない国会

国会議員になってからの2年半の間、私が友人や知人からいちばん多く受けた質問は「いま、何をしているの?議員になってからちっとも姿が見えなくなってしまった。

何に関心をもって毎日どんな生活をしているの?」というものである。アメリカの場合は一つの法案にどの議員が賛成し、どの議員が反対したかが、毎日、新聞に出る。有権者は「私はあなたに投票したのは、この法案に賛成してもらうためではない。」とか、「これには反対して欲しかった」といった注文が毎回事務所に殺到するという。

選挙の時だけではなく、自分が選んだ議員から有権者は目をはなさない。その材料をジャーナリズムが提供している。ところが日本では、国民から国会が見えないのみならず、個々の議員の姿、活動内容を知り得ないのである。この2年間でけっこうユニークなことをやってきたつもりである。

優生保護法39条の附帯決議として「妊娠、出産、避妊は女性の健康の一環である」と入れさせたのだが、このことだけでもたいへんな力仕事だった。妊娠や出産、避妊が女性の健康の問題であるということは、私たち女性の側から言えばごくごく当り前のことである。

ところが、男性主流の国会では、こんな当り前の文章が通用しないのである。男性議員たちは、妊娠や避妊は「青少年の道徳の問題」であると主張するのだ。

出生率が下がった時も、男性議員は「どうしたら女は子どもを産むかなあ」と真顔で言う始末。まるで女性は子産みの機械のように、無機的に扱われている。出生率低下の背景には、女性の生活や人格、男女の関係性、毎月の労働の条件や子産み・子育ての住宅、保育といった環境の問題があるのに、与野党の別なく男性議員はそれには気がつかない。

だから、「女性の健康の一環として妊娠、出産、避妊を考える」という視点は理解できないわけである。この一言を入れさせるために一ケ月もの間悪戦苦闘してきた姿は、1行も報道されないから国会の外の女性たちにはつたわらない。

ここで問題になるのが、政治部記者の体質というか、取材姿勢である。政治部記者はアリバイ的に少数の女性記者もいるが、圧倒的に男性が多い。

記者たちは派閥の力学がどうなっているか、誰がどういう力学で総理に、閣僚になるかについて、夜打ち朝駆けで毎日大変に精力的・多角的な取材を展開しているが、国会で小さくとも、国民に興味あるネタを地道に探す努力はめったにしない。

例えば先ほど例にあげた「妊娠・出産・避妊」をめぐる議論が社会労働委員会の場で展開されている場合も、厚生記者会の記者は取材しているが、関心事ではないのである。

そんな時私は、1人で2役をやりたくなる。もし私がジャーナリストをやっていれば、女性の健康の問題と捉えるか、それとも道徳の問題と捉えるかという議論のプロセスを追い認識の違いを浮きぼりにして日本の女たちに報道したであろう。

ところが今の私は第三者の立場から無我夢中になって駆け回る当事者の側に変身して、「女性の健康」を日本の政治行政の場で実施させようとするから見えなくなってしまう。

福祉や環境の問題でも同じことである。新しい議論が出れば、その結果だけを政治部記者は書く。しかしそこに至るまでのプロセス、ドラマのような内容はめったに国民には見えないのである。これは国会の議論の中の政治的な部分、ホットな話題だけを取材する政治部記者の体質とその政治部記者のほとんどが男性である事と関係しているだろう。

社会部、あるいは生活部や文化部の記者の目での自由な国会取材が盛んになれば、新聞の記事、テレビの番組はずい分と変わってくるであろう。

III、国民へのアクセスを失う議員

こうして国民へのアクセスを私も失ってしまった。「ニュースレターを出して知らせればいいじやないか」と思う人もいるかもしれない。今、テレビや全国紙の新聞を通して、活字になり放映されたものは、何千万という単位の人々に届くわけだが、「ニュースレタ一」の形で身のまわりの人に書いたところで、その数はせいぜい何百人から何千人の単位である。

私が新しく始めたパソコン通信では、アメリカにいる人が「国会レポート見ましたよ」とメッセージを返してくれることもあるが、しかしそれもまたマイナーな手段である。国会とジャーナリズムのこうしたワンパターン、硬直化の原因は議会の硬直化といえる。国会の中での私たちの仕事を国民に知らせる事ができないことを意味する。

その原因のひとつには私が取り組んでいる問題を報道してくれるようにジャーナリストに対して働きかける努力が足りないという議員の側の怠慢もあったかもしれない。自分の選挙のためにアピールしていると受けとられるのではないかという意識が働いてしまうのかもしれない。知らせるべきことは知らせる勇気を持ちたいと自戒をこめて思う。

国会の審議の過程はイギリスやアメリカのそれとはすいぶん違う。はっきり言って日本には与野党の対等なディベイトはない。政府委員といわれる各省の局長たちが答弁に立つ。大臣が答えるときも役所が用意した答弁を読む事が多い。

従ってジャーナリストは、幹事長や委員長、党の実力者たちから直接話を聞くという取材方法に陥ってしまい、公開の議会より裏舞台の情報が主になってしまうのである。

なぜ国会での議論が面白くないのか。理由は簡単である。例えば私は去年まで予算委員会に属していたが、質問が決まると各省庁が「御用聞き」ならぬ「質問聞き」にやってくる。どういう質問をするのかを前の日にきいて、官僚たちが夜おそくまで質問の答弁づくりをする。その答弁を大臣なり局長が国会で読みあげるわけである。

生きた議論、与野党の白熱した討論が展開されるはずがないのである。だから誰もが大臣になれる。専門家である官僚が答えを書いてくれるのだから、勉強をしなくても務まるし、年功序列での大臣就任がまかり通る。

こうした議会の硬直した政情こそ、ジャーナリズムはとことん追求し、改善のきっかけをつけるべきなのでなないだろうか。ジャーナリズムまでが、長いものにまかれて、与党政府のつくった枠をこわす努力をしていない点が残念である。

IV、与野党逆転の重要性

硬直化、形式化、さらに与党と行政の癒着といった国会の構造は、第2次世界大戦後政権交替がなく、一党支配が50年近く続いていることと無関係ではあるまい。

私自身がジャーナリストとして国会を見てきた25年を振り返ってみても、安保の問題やロッキード、リクルートと、野党による追求はあるが、与党の政権能力に反比例して野党の政権担当能力は落ちてきているといえるように思う。その背景を探るために、シャドウ・キャビネットの問題を考えてみたい。

イギリスでは昔からシャドウ・キャビネット(影の内閣)の制度がありそれを模して、今回社会党もシャドウ・キャビネットを発足させた。しかし、イギリスのシャドウ・キャビネットとは大きな差がある。

つまりイギリスではシャドウと言えども予算を持ち、調査費も与党以上に支給されているからである。与党は行政からの情報そして行政の調査能力を持つが、シャドウにはそれがないから、多額の調査費が与えられているのだという。

それはいつでも表の内閣になれるだけの力を蓄えるためなのである。言ってみれば、ベンチに座っている選手がウォーミングアップしながら待機している状態である。カナダのシャドウ・キャビネットの副首相は「カナダにおいてシャドウ・キャビネットが機能しているのは60人のスタッフ、部屋、そして資金があるからだ。」と証言している。

これらの国々と較べると、戦後政権交代がほとんどなかった日本の政治構造は、野党の力を極端に弱くしてしまったと言える。万年ベンチの野党議員は、秘書2名、限られた調査費の中で、与党に迫る鋭い質問を投げつけなけらばならない。

こうして見てくると、与党が野党になる可能性が全くないと思えるような事態が国会の議論を形式化させ、国民から国会を見えなくさせているのであり、こうした構造をあばくことこそジャーナリズムの任務であろう。もっと民主的な与野党に議論の中から日本の政治が国民に見える形で決まるべきである。

ジャーナリズムに国民と国会との太い太いパイプ役をそのときこそ積極的に果して欲しい。

V、つなぎとしてのジャーナリズムの役目

国会の働きが国民にはっきりと見えるようにするためには、なによりもジャーナリズムの役割が重要である。従来のような“国会=政治部”という発想ではなく、社会部や文化部、あるいは家庭部か婦人部の記者もそれぞれのアプローチで国会を取材し、国会での議論から生まれてきたものを伝えていかなくてはいけないと思う。

新聞の政治面に国会を閉じ込めてしまってはいけない。その意味で、今度民間のテレビ局が国会中継できるようになることは大きな変化をもたらす可能性をもっている。そこから国会が変わるかもしれない。

それにしても、国会取材に限らず、日本のジャーナリズムの性質-集中豪雨的取材や長期的・構造的視野の欠如-を変える事が大切だと私は痛感する。さらにジャーナリズムの中の男性支配を反映した女性蔑視の傾向も、早急に改めてほしい点である。

高度経済成長、過剰消費社会のオルタナティブは女性の視点から、生活や環境を重視する社会である。「福祉・環境・平和」といった21世紀の鍵となるテーマ-これは私自身のテーマでもあるのだが-にもっと目を向けるジャーナリズムが国会の動きを追って欲しい。

注文ばかりが多くなったが、それはジャーナリズムヘの私の熱い期待の現れでもある。ジャーナリズムが政治を変え、国の将来さえも変える、と私は信じてやまない。