第7回那覇市学校歯科保健大会(社団法人沖縄県南部地区歯科医師会)
特別講演「よい歯がつくる元気な子供」
1994年2月19日
講師 堂本暁子氏


皆さんこんにちは。堂本暁子です。

久しぶりの沖縄です。取材でも何度も来た沖縄ですので、とてもなつかしく思っています。デンタル・フェアで優勝なさった松本さんと新さんの歯のスライドを見て、私はうらやましく思ったんですね。と申しますのは、私は子供のときから歯が悪く、いつも歯科医のお世話になっていました。

もしかしたら,皆さんの中にも、松本さん、新さんの歯が「うらやましい」と思った方はおられるんじやないでしょうか。特に、「噛めない子供が増えている」という番組をつくってからというもの、歯の大事さを身にしみて感じております。若い方たちには、いい歯をもった子供たちをぜひ育てていただきたいと、願っています。

乳幼児の咀嚼力に関心を抱いたきっかけは、当時取材していた無認可の保育施設である「ベビーホテル」の保母さんたちが、「噛めない子供がいるのよね」とか、「飲み込みが悪い」、「柔らかいものしか食べない」「口のなかにいつまでも食べ物をためている」と話しているのを耳にしたためです。

保母さんたちの会話を聞いていると、子供たちの口のなかに異変があるんではないかという気がしたんです。そこで、東京、多摩地区の保育園で、3歳児の給食の様子を見てみました。ほとんどの子供が昼の給食を食べ終わって遊んでいるのに、3人だけはまだ食卓に向かっています。深めの白いボールに入ったハヤシライスと小皿の野莱サラダはあまり減っていません。

「この子供たちは噛むのが下手でね…。」もてあましたように、保母さんは言います。

見ていると、柔らかいものだけを食べて、固いものは口から出してしまったり、噛んでも噛んでも噛み切れず、野莱の繊維や肉を口いっぱいにためていたり、逆に、噛まずに食べたものを飲み込んでしまったりと、かたちはまちまちだが、要するに、3歳になっても食べ物を咀嚼できない子供たちであるらしいのです。

午後1時近くになると、遊んでいる子供たちは、パジャマに着替えて、昼寝の準備を始めました。食事中の子供たちも、きりをつける時間です。「この子たちは、いつまでも食べているので、遊ぶ時間がなくなってしまうんです。早く食べて遊びたい、という意欲をもってくれるといいんですが…。」なにげない保母さんの言葉が気になりました。

咀嚼力の弱い子供は、他の行動や意欲の点にも問題があるらしい。きくと、こうした子供たちが目立ち始めたのは、ここ4、5年のこと。目に見えないところで、何か深刻な事態が進行しているのではないかとの危惧を、私は抱かずにはいられませんでした。ベビーホテルばかりではありません。

1979年の12月に、認可保育園の予算を獲得するための大集会が開かれたのですが、広島の保母さんが、壇上で「子供が噛めないんです」と訴えている、だから保育園の役割が今後大事なのだと。咀嚼力の低下は、保母さんたちの間ではすでに共通した認識だったのかもしれませんが、私は、だれでも自然に噛めるようになるのだ、と考えていたので驚きました。

たとえば動物だってそうですね。馬だって、ライオンだって、噛む。人間だって動物の一種なのだから自然に噛めるのだと信じていました。ですから、保母さんの発言は奇異に響きました。

ところが、小児科の医師にきいてみると必ずしもそうではないらしいのです。お母さんのお乳を吸う能力は生まれつきであっても、噛む能力は、トレーニングによって習得するのだといいます。

それも生後4カ月ごろから、母乳を飲むという赤ちやんの努力の中で、次のステップである咀嚼のトレーニングが始まり、咀嚼力の基礎が固まる時期は非常に早く、1歳から1歳半ごろまでの時期だとのことです。

お母さんの与える手作りの離乳食によって、柔らかいものから固いものヘ、小さいものから大きいものへと、自然にこのトレーニングが行われていく。したがって、そういうトレーニングの時期をもてないで過ごしてしまうと、噛めない子供が育っても不思議はないというのです。

飽食の時代といわれます。デパートの食品売り場には、世界のいたるところから集められた食品が、所狭しと並んでいる。世界の漁獲量の30%を、地球人口54億人の2.3%でしかない日本人が消費しています。日本はまさにグルメばやりです。しかし、一方で、54億人のうちの10億人が飢餓状態におかれている。

エチオピアやアフリカ、南米で、栄養失調で死んでいく赤ちやんが後を断ちません。食べ物が溢れている日本で、「噛めない子供」の問題が出てきた。これは単に歯の問題に限定して捉えるより、私たちの生き方、文化、特に大量消費経済との関連で考えるべきでありましょう。

一番皮肉なのは、乳児院の例です。昔は、乳児院には噛めない子がいたんだそうです。たとえば、お母さんがいない戦災孤児は、噛むことを母親から教えてもらっていない。咀嚼力のない子供が乳児院に入ってきた。以来、乳児院では、保母さんたちが一生懸命に「もぐもぐ」「かみかみ」「ごっくん」と言って、子供たちに噛むことを教育してきた。

だから両親をなくした子供が来ると、食べさせながら必ず咀嚼を教える。離乳食も固いものを取り入れるよう気をつけてきた。長年、乳児院で働いてきた保母さんの1人は、「噛めない子供を育ててはならないとの意識が強く、どうしたら咀嚼力をつけられるか工夫してきました。」と語ってくれました。

つまり、乳児院では30年も前から咀嚼に配慮してきた歴史があったんです。ところが、最近になってそれが逆転してしまった。親のいる子供のほうに噛めない子が出現するようになった。

小児歯科にも異変が起きていました。保育現場に噛めない子供が増えている状況について小児歯科医に伝えると、「やっぱりそうですか。昔は98%が虫歯だったが、最近は歯科でも不正咬合の子供たちがたいへん増えてきて、気になっていた」とのこと。

小児歯科でも、虫歯が減って、不正咬合で噛めない子供が増えていたのです。ところが、歯科医たちは、具合が悪くなった子供たちだけを見ているわけですから、その子供たちが、どのぐらいの割合を占めているかということはつかめないわけで、「噛めない子供の割合を調べた人なんてだれもいないよ」と先生は言う。

では、調査をしてみよう、ということになり、小児科医、小児歯科医、児童福祉の専門家、乳児院のスタッフなどが集まって、咀嚼に関する実態調査を実施することになりました。まず、保育園で調査を実施しました。

「噛めない子供はあなたの保育園に何人ぐらいいますか」、「飲み込みの下手な子供は何人ぐらいいますか」、「口のなかに食べ物をためる子供は何人ぐらいいますか」、「唇を開けたまま食べる子供は何人ぐらいいますか」、「食欲のない子供はどのぐらいいますか」というような設問を作り、全国の保育園54カ所を対象に、咀嚼力の調査を実施しました。

その結果、2、3歳児の1.7%が「固いものが噛めない子供」であることが分かりました。58人に1人の割合です。また、「食べ物を噛んでも飲み込むのが下手な子供」は、4.3%、つまり23.3人に1人と、さらに多く、予想以上の数でした。しかも、都市・農村の別なく、全国いたるところに咀嚼力の弱い子供たちがいました。

これは相当な数で、病気だったら大変なパーセントだと、ドクターたちは言う。なぜこんなに噛めない子供が多いのでしょうか。阪大の川村先生は、「だけど堂本さん、噛めないのか、それとも噛まないのか、どっちなんだ」とおっしゃる。それから、再度調査をやることになりました。

さらに詳しい医学的調査をするために、小児歯科の先生たちに保育園に行っていただいたわけです。統計的な調査で得た結果を見ながら、歯科医の観点から医学的に検査する必要がある項目をリストアップしました。今度は、噛むことが下手な子供たちの口のなかを、小児歯科の先生たちが一人一人診察し、歯の状態、唇の動き、飲み込みの状況から、その子供が噛まない原因は何なのか、飲み込めない原因は何なのか、と、医学的にチェックしていったわけです。

その結果、明らかになったのは、2つのタイプがあるということです。第1のタイプは噛めても食べない子供たちで、飽食の時代を反映してか、空腹感がない。一生懸命食べようという気力が子供にない。食べながら居眠りをしている、そんな子供たちにも出会いました。

つまり、食べることに関心がない子供たちなのですが、お母さんの態度にも原因があるようでした。あまり「食べなさい」、「食べなさい」と言われると、いや気がさしてしまう、そうした子供たちの場合は、いささか心因的というか、心理的な原因が大きかったようです。

もう1つのタイプは、食べたくても、噛みたくても噛めない子供たちです。不正咬合の歯とか、舌とか、唇とか、そういった口のなかの構造的な原因、あるいは咀嚼の機能が十分に発達していないために、噛めない子供たちです。歯だけではなく、舌の動き方とか、唇の動きとか、それらが、どう連動するか、しないかによって、噛めたり、噛めなかったりする。

たとえば、舌の筋肉や顎関節に原因がある場合もあります。しかも、私たちは口のなかを、普通は見ることがないので、こうした口腔内の構造的、あるいは機能的な原因を知るチャンスがありません。いざ調べてみると、原因は千差万別、しかもそれらが錯綜していることが多いのです。

皆さんは無意識に毎日3度の食事をしておられるかもしれませんが、精密な機械も及びもつかないほど、咀嚼はとても微妙で、非常に複雑なので、少しでも歯車が狂うと噛めなくなってしまいます。さらに難しいのは、心理的な原因と構造的な原因が、相互に影響しあっていることです。逆の言い方をすると、二つの原因が相互に作用して咀嚼力の低下を招く、そうしたケースが最も多いようです。

では一体、噛めない、噛まない子供がどうして最近目立つようになってきたんでしょうか。沖縄には、昔は噛めない子供なんかいなかったのではないでしょうか。いたとしてもごくわずかだったでありましょう。日本の子供の口のなかで、咀嚼力の低下という深刻な現象が起こっているのは、わが国の戦後の高度経済成長と無関係ではないのではないか。

本来、日本人は農耕民族で、農漁村が大きな割合を占め、子供たちは自然のなかで育っていました。私が育った東京でさえ、小川でどじょうを獲り、野原を駆け回り、木登りをして育ちました。ところが、戦後の急速な工業化で、日本は経済大国にはなりました。しかも、工業化の過程で欧米諸国と最も大きく違った点は、工業化の速さです。

産業革命以後、イギリスは200年ぐらいかかって工業化を達成しましたが、日本は経済復興、所得倍増、そして高度経済成長をわずか30年ぐらいの間に成し遂げてしまったのです。

子供が生まれてから、母親なり父親なりになるまでの20年から30年の間に、日本の社会構造は変化してしまった。こうした急速な経済成長は、戦後の軌跡として羨望の眼で見られ、プラスに評価されてきました。しかし、一方で、環境汚染や子供が噛めなくなるといったようなマイナス面もあったのですが、あまり注目されずにきました。

急激な変化の一つは核家族化です。半世紀前には、農村の家のなかには、祖父母や、伯父、伯母、兄妹など、大勢の家族がいました。両親が田畑に出ているときは、おじいさんおばあさんが孫をあやしたり、食事をつくって食べさせたりしましたから、赤ちやんは、ごく自然に家族の味や習慣を学びました。

子育てにしろ、料理にしろ、母親から娘へと伝承されてきた歴史があります。核家族化は、こうした前の世代から次の世代ヘ、つまり祖母から母ヘ、母から娘へと、育児方法や生活習慣を伝える機会を極端に減らすことになりました。その結果、お母さんたちが頼りにしたのは育児書で、日本ほど育児書が売れる国は、世界広しと言えどもないそうです。

戦後、日本がアメリカに占領されたことによって、アメリカの影響を強く受け、価値観が変わってしまったことも見逃すことができないでありましょう。食生活への影響も大きく、伝統的な日本の風土にあった食べ物を惜しげもなく捨てて、ハンバーグやプリンといった西洋風の食事を子供たちが好むようになりました。

北欧では、スウェーデンやノルウェーといった国は、頑固に伝統的な料理を親から子へと受け継いでいて、母親は、いまでもイーストを使ってパンを焼いたりしている。インドでも、何十種類といった香料の入ったカレーをつくる。味の多様性、料理の多様性を大事にしています。日本も、それぞれの地方に郷土の料理があります。

東北には、のっぺ汁とか、薯の子汁といった郷土色豊かな料理があります。沖縄にも、チャンプル、ラフティ、やぎを使ったヒージャー料理などが名物です。こうした昔からの多様な食生活を極端に変えたのは、インスタント食品やレトルト食品、冷凍食品などです。北海道から沖縄まで、いやインドをはじめアジアの国々まで、同じ味がまかり通るようになりました。

新潟の過疎村へ行った時のことです。若いお母さんたちの多くは新設されたハイテクの工場に働きに行っている村なので、おばあちゃんが幼い子供たちの子守をしていました。そうしたおばあちゃんに、「孫に何を食べさせますか」と間いたところ、「スーパーに行って買うんだよ。お昼のものを。ジュースとか、それからプリンとか。」と言う。

「でも、おばあちゃん、息子さんや娘さんたちを育てたときは?」と私が聞き返すと、「違うよ、味噌汁の中のイモをつぶして赤ちやんのときから食べさせた。裏の畑にナスがあればナスをもいできて、切って、塩を振ってやったよ。」と、おばあちゃんは言うのです。

おばあちゃんが自分の子供を育てた時とどうして同じように孫を育てないのかというと、スーパーで売っている食品の方が上等なのだ、嫁の価値観に従う方がよい、といった考え方からなのです。畑の新鮮なトマトを食べさせないで缶詰めのジュースを飲ませる。それも若いお母さんが出勤するときに、おばあちゃんに1,000円くれるんだそうです。

だから、おばあちゃんは1,000円もってスーパーへ行き、柔らかい食べ物を買う。それは、何年も前に缶詰工場でつくられたものかもしれない。畑の新鮮なおナスには固さがありますが、缶詰食品にはない。とても柔らかい。ほとんど歯ごたえはない。

歯が生えるときに赤ちゃんはむずがゆがりますが、そのときに昔は固いものを赤ちゃんにしゃぶらせた。新潟ではスルメを噛ませたそうですし、沖縄できいたところ、「昔はサトウキビを噛ませた」。北海道では、「干タラとか干ニシンを噛ませた」と。こうした習慣も急速になくなってきています。いずれにしても、歯が生えるとき、離乳食は適度の固さを必要とするのです。その固さが失われている。

ベビーフードを考えてください。味噌汁の中でおばあちゃんがつぶすじやがいもにはそれなりの固さがあっても、ベビーフードには栄養はあっても固さがないのです。ハンバーグも同じです。ハンバーグ工場では、「カルシウムが入っていますよ」と言う。身を取った後の鶏の骨を、オーストラリアとか、ニュージーランドから輸入し、冷凍のまま高圧の機械でペーストにしてしまう。骨でもすごく柔らかい。

それを肉と混ぜて油の中で揚げ、半加工のハンバーグにするわけです。それが3分間お湯に入れれば食べられるレトルトハンバーグです。お母さんが挽肉を買ってきてつくったハンバーグと、レトルトのハンバーグの固さ、つまり物性の比較を栄養大学でやりました。

そうしたら、お母さんがつくるハンバーグの半分以下の固さしか、加工食のハンバーグにはない。インスタント食品、冷凍食品というのは、みんな柔らかい。ハンバーグ工場の社長さんに私は言ったんですね。「日本の子供が危ないから、噛む力をつけるために固いハンバーグをつくってください」と。すると、社長さんいわく、「堂本さん、それだけはできない」。

「どうして」と私。「固くすると売れなくなるんですよ」と社長。この答えをきいて、私は身の毛がよだつ思いでした。要するに、柔らかい食品でないと売れないのが今の日本の食品業界なのです。

子供や女性に人気のある食品といえば、アイスクリームとかプリンといったスナック菓子。おせんべいが好物だという子供なんか、最近はめったにいません。噛めないから柔らかいものが好きなのか、柔らかいものばかり食べているから噛めなくなるのか、鶏と卵の関係で、どっちが先か分かりませんが、相乗作用が進んでいることだけは確かでありましょう。

食物が全般的に柔らかくなる原因として、栄養信仰を挙げることができます。育児書もビタミンのバランスだ、カルシウムだと、微に入り細に入り赤ちゃんの食事の栄養については書いていますが、離乳食の固さを問題にすることはありませんでした。

たとえば、ベビーフードも栄養本位、メーカーは咀嚼の訓練まで考慮して、ベビーフードを製造していません。昔のようにりんごやじゃがいもを与えられれば、赤ちゃんも一生懸命に噛みますが、ジュースやぺースト状のものだと噛む必要がないわけです。

第二の問題点は味の多様性、食物の多様性が失われてきている点です。つまり、全国同じインスタント食品が出回ると、味の画一化が進みます。「うちのお母さんがつくったハンバーグはたまねぎが入っていて歯ごたえがあるんだよ」「うちの人気メニューはテリヤキハンバーグなんだ」

「うちのおばあちゃんはキノコとベーコンとお醤油でつくったソースをハンバーグにかけるんだけど、この味がばつぐんなんだよね」といった会話が、これからは減ってくるんではないでしょうか。

つまり親の味、愛情のこもった味を失いつつあると言えます。第三に大事なのは、咀嚼と食欲との関係です。育児書には、何か月の赤ちゃんにはミルクを何グラムあげなさい、というふうに書いてある。しかし、赤ちゃんだって体力のある子もいれば、おとなしい子もいる、食欲旺盛な日もあれば、何となく食べたくない日もあるでしょう。

にもかかわらず、お母さんは、往々にして育児書に書いてある通りの量を、赤ちゃんに飲ませようとする。小児科の二木先生は、いつも「お母さんたちはどうして子供の表情より育児書を信用してしまうんだろうか」と言って、嘆いていました。

そこでお母さんにインタビューをしました。2歳、3歳の子供をもったお母さんに、「あなたの子供は食欲がありますか」と質問をしたところ、25.2%のお母さんが、「うちの子供は食欲がありません」と答えた。なんと4人に1人です。

子供が無我夢中で食べよう、噛もうという気にならないのは当然です。二木先生が、「絶食デー」をつくらなければだめじやないか、とおっしやったのも無理のないこと。空腹感のなさが、噛まない子供が増えていることと関係が深いのではないか。そもそも縄文時代の昔から、人間は、食べ物を手に入れるために働き続けてきました。

大人も子供も常に飢餓感を抱いていた、と言っても言いすぎではないでしょう。いま、日本人は、その歴史の中で初めて、ありあまるほど食糧のある生活を経験しています。飽食の時代のパラドックスは、それが食べる意欲のない、空腹感のない子供たちを生み出してしまったことです。咀嚼力のない子供たちが増えた背景には、生活習慣、特に食習慣と育児の変化があるのです。

しかも、経済的に豊かになった飽食の時代を、こうした子供の発達といった視点から考察するというような作業は、まだ試みられていません。私はそのことに大変強い不安を抱いています。次に、口のなかの発達の問題について述べたいと思います。

特に指摘したい点が二つあります。第一は、人間の赤ちゃんは未成熟な状態で生まれてくること、第二は、噛むリズムの重要性です。まず第一の点ですが、人間は未成熟な状態で生まれてくるので、牛や馬などと違って、すぐに立つことはできない、歩くこともできない。

一人前になるまで、お母さんのお腹の中で、おっぱいを吸いながら育つ。カンガルーと同じです。未成熟な状態で生まれてくる赤ちゃんは、「飲むこと」は知っているけれども、「噛むこと」を知らない。赤ちゃんは、生まれてすぐにお母さんのおっぱいを探して「飲み」始めます。

胎児の間、ずっとお母さんのお腹の中で羊水を「飲んで」育ったのですから、当然といえば当然です。ところが、「噛む」能力は、生まれてから後に訓練され、初めて覚えるものなのだそうです。

そもそも人間は、生まれたときから上顎と下顎が噛み合っているわけではありません。生まれたときには、下顎が多少後ろに引っ込んでいますから、どの赤ちゃんも丸顔です。顎の張った赤ちゃんなどいません。その未発達な下顎が、l歳ぐらいまでの間に上顎と噛み合わさるところまで発達し、前進して、歯の生える土台ができます。

そして、上下の、白くかわいい前歯が噛み合ったとき、脳が刺激を受けて、位置を記憶し、活発なはたらきを開始します。唾液の分泌、満腹感など、消化のリズムは咀嚼と連動して起きます。

下顎の発達をうながす最初のきっかけは、赤ちゃんが母乳を飲むときに、お乳を吸うだけでなく、下顎で力一杯にお母さんのおっぱいを押す動きで、よく見ていると、お乳を絞り出すために、赤ちゃんは下顎を上下に激しく動かしているのが分かります。ところが、ある時期から、ミルクと哺乳瓶を使うお母ぎんたちが増えてきました。哺乳瓶は吸うだけで勢いよくミルクが出る、母親の乳首がもっている微妙な機能がないのは当然で、したがってこれでは、下顎を積極的に発達させることができないのです。

生後4カ月ごろになると、顎の発達と相まって、前後にしか動かなかった舌が上下に動き始め、唇も敏感さを増します。このころ初めて口にするのが、スープやおもゆといった離乳食。それは、赤ちゃんにとって、新しい味や舌触りとの出会いであり、未知の領域へのチャレンジです。

豆腐の滑らかさ、じゃがいものほっかりした感触、蕪のまろやかな味と香り、何であれ初めて食べるものへの興味は、好奇心の出発点です。噛み方が上達するにつれて、食べられるものの種類が増え、お母さんがつくる料理の方法も、煮物から焼き物、揚げ物と、変化に富んできます。

おいしいと、赤ちゃんは目を輝かせ、いかにもうれしそうに笑います。一つ一つの果物や野莱、魚や肉の味を、そして「おふくろの味」を覚え、赤ちゃんは食べる楽しさ、喜びを知ります。

第二にリズムです。6、7ヵ月になると、噛み、飲み、呼吸する運動が連動し、リズムをもつようになります。それが、言葉を話し始める基礎となり、脳の発達をうながすといわれています。

こうした口の機能の発達は、昔から、日常の育児の中でごく自然に行われてきたのに、どうもそれが、最近、大きくくるい始めているようなのです。ある3歳になる子供の話ですが、3歳になっても離乳食のようなものしか食べずにいる、少しでも固いものをあげると全部もどしてしまうんです。お母さんは次のように言いました。

「私は本当に愚かなことをしてしまった。離乳食みたいに柔らかいものさえあげれば、子供が食べたから、それでいいと思って、どんどんそれを続けた。ある時、同じ頃に生まれた隣の子供は、おそうめんとか、スパゲティーを吸うようになったのに、うちの子供は吸えない。

隣の子供はストローを使ってジュースを飲んでいるのに、うちの子供は吸えないんです。」口の中が発達する大事な時期に、柔らかい食べ物ばかりを与えていると、とりかえしのつかないことになるという、恐ろしい話です。

ところで、「離乳食」という言葉が使われ始めるようになったのはつい最近のことで、もともと人類は、何百年、何千年という長い間、自然に「離乳」してきました。誰にも教わらずにやってきたわけです。自然にやってきたことが、人工的になったときに、人間の発育に支障が起きてきた。私たちは人工的な離乳の難しさを、もっと認識すべきではないでしょうか。

赤ちゃんは食べ物を手づかみにします。これを食べて大丈夫かな、口のなかに入れるかどうか、飲み込むかどうか、その一つ一つの決断が、赤ちゃんにとっては冒険なんです。新しい味との出会い、新しい感触との出会い。それは家庭の味かもしれないし、郷土の味かもしれません。

一人の子供にとって、この出会いは人生最初の冒険です。だから、できるだけたくさんの味を知ることは豊かなることだと思います。多様であるということは素晴しいことです。インドの人は言います。たった1つのラーメン、即席ラーメンはいやだと。

非常に複雑なカレーの味、これが本物のカレーだと。私はカルカッタに行きましたが、日本で食べるカレーとは全く違う。一体何種類のものが入っているのか、数え切れない。

食べ物に限らず、音楽にしても、絵にしても、スポーツにしても、学問にしても、それからおしゃれにしても、私たちの感覚というものは、赤ちゃんのときからの多様性の経験によって養われていくのです。

それからおいしいものを食べる喜びについて。実は私は前歯が入れ歯なんですが、入れ歯にした途端に人生が面白くなくなった。まず、味がつまらなくなった。それから、食べる感触が変わってしまった。歯に神経があるということを、いやというほど知りました。歯は、まるで石みたいなものだ、というふうに思ったら大間違いなのです。

食べることだけが仕事の赤ちゃんは、おそらく歯でたくさん感じているのではないかと思います。味を感じ、熱さを感じ、いろんなものを歯で感じる。歯が生えていないときは、歯茎であるかもしれません。赤ちゃんは、全然歯がなくても、ニンジンを茄でたものとか、鳥を茄でたものとかでも、平気でこなします。

すり餌のようなものなど全く必要ないんですね。その時期こそ、赤ちゃんがいろんなことを覚えているときだと思います。赤ちゃんは食べることを通して、愛情とか、優しさとか、やる気とか、積極性とかを身につけていくのです。以上のようなことから、食べること、あるいは噛むことは、それほど単純なことではない、ということが分かると思います。

1歳あるいは1歳半までの時期は、飲むこと、そして噛むことを覚えるプロセスであり、咀嚼のトレーニングをしながら、子供は自分の家庭とか、コミュニティーとか、国とか、地球といったものとつながっていく。さらに、噛むことは脳の発達、言語機能の発達、それから人格形成にまでつながっていく。こういった大きな関係の存在を、私は信じてやみません。

ここまでの話を聞いて、「私は不正咬合で歯を抜いたのよ」と、悲観なさる方が、もしかしたらこの中にいらっしやるかもしれません。でも悲観なさらないでください。それはあなた1人の問題ではなく、日本中で進んでいることなんです。先程申し上げたとおり、私たちはテレビでコマーシャルを見て、そこで宣伝された柔らかい食べ物を買うんです。

ハンバーグも買うし、冷凍食品も買います。固いものを買おうと思っても、もう買えないものだってあると思います。日本列島全体が柔らかい食べ物、栄養価を高くした食べ物で底上げされている、そういう環境に私たちは住んでいるのです。歯の噛み合わせが悪くて当然です。

今、沖縄でこのような会が開かれている、しかもそれが7回目だということは、本当にすばらしいことだと思います。おそらく全国に例を見ないことではないかと思います。

ここにいらっしやる皆さんは、学校、病院、地域等で、歯の問題、衛生の問題、健康の問題に関する仕事をしていらっしゃいますが、その皆さんがこの底上げされた状態を変えていってくださることと、私は信じております。この会で皆さんが学んだこと、感じたことを、これからl年間、家族や子供たちに伝えていく、そのことによって皆さんの地域が豊かなものになっていく。

子供たちが豊かな人生をおくることは、お金や食べ物がたくさんあることと決して同じではないんですね。そのことを広めてくださる皆さんに深い敬意を表したいと思います。

私たちは、これまで現代の話をしてきましたが、最後に少し歴史の話をしたいと思います。東大に鈴木先生という自然人類学の先生がいらっしゃいますが、鈴木先生によれば、日本人はすでに顎が弱くなる経験をしているらしいのです。

増上寺に徳川歴代将軍たちのお墓があるのですが、鈴木先生が墓のなかの棺をすべて掘り起こして調べたところ、初代家康の顎はたいへんごっついものでしたが、代が下がるにしたがって、将軍は、だんだんきゃしゃな、うりざね顔になっていったということが分かりました。「馬上の殿は馬より長顔」-江戸時代にはやった、馬よりお殿様のほうが長い顔をしているという意味の川柳です。

うりざね顔になった徳川将軍たちの顎は、極端に薄く、弱くなってしまい、人間の顎としては限界のところまで発達してしまっていた。それは、同時に退化ということもできる。鈴木先生は、徳川将軍の顎はウルトラ・モダンだ、とおっしゃいます。つまり現代を超えて、今生きている日本人よりもきゃしゃな顎との意味です。

第14代将軍家茂は、20歳でほとんど歯がなかった。だから皇女和宮のプレゼントは、くず粉と砂糖だったとか。家茂はくず湯しか食べられなかったのかもしれません。江戸城で、将軍たちは柔らかい食べ物ばかり食べさせられていた。大奥がつくった当時のメニューがあって、それを再現してみました。

お魚はすり身、野莱は新芽をつんだ若莱のおしたし、真っ赤なリンゴは「御覧ずるのみ」、つまり見るだけ。この将軍食の固さを調べたところ、6カ月の赤ちゃんにあげる離乳食とほぼ同じ固さでした。将軍は20歳まで離乳食を食べていたわけです。

オール・ジャパンで柔らかい食品を食べている飽食の時代は、一億総将軍の時代です。将軍の顎がたどった運命は、増上寺の棺のなかにあった将軍のきゃしゃな顎が示してくれています。飽食は自然資源の枯渇につながります。

近代文明のオリの中で、大量消費経済時代に、人間は、動物本来の能力を、長い間かかって培ってきた数々の大事な機能を、急速に失いつつあるのではないでしょうか。

噛むことさえできない子供たちが増えている現実を、単にそれだけのこととして見過ごすわけにはいきません。それは、私たち人類にとって、きわめて根の深い問題です。沖縄の多様な自然のなかでたくましく育つ子供たちが、21世紀の担い手であり、沖縄の食文化、美しい踊りと心の唄を伝承する人たちでありましょう。