自然通信
自然への思い
1994年3月1日
堂本暁子(参議院議員)


もう40年近く前のことですが、夏にはサルを捕ったりクマも捕ったりするイワナ釣りの名人の猟師さんの案内で、北アルプスの薬師岳から黒部渓谷へおりたことがありました。その折はじめて黒部渓谷でイワナを釣りました。まだその頃にはオコジョや、ノウサギが出て来たり、たくさんの動物たちと出会うとても楽しい雰囲気がありました。高山植物も咲き乱れていて、ふと手を伸ばすとそこにコマクサも咲いていて、豊かな自然が山中にあふれていた時代でした。まだ山小屋などなく、薬師沢と黒部渓谷が出会ったところに「かべっけ」という小さな草原があり、そこにテントを張って、薪をたいてキャンプしました。

私たちを案内してくれた猟師さんは、“1日に100匹もイワナをを釣ると、それを串に刺して、大きな四角い井形に薪を組んだ回りにさして、たき火で焼き干したものを、大きな缶に入れ、しょって帰るのを仕事にしていました。でもこの猟師さんはイワナを絶対に食べないのです。「こんなにたくさんのイワナを殺したら、罰が当たる。時々夢の中にまで巨大なイワナが化けて出る」と彼は言っていました。

その当時、黒部の源流には、本当にいっぱいのイワナが、水が黒く見えるほどたくさんいました。私も見よう見まねでイワナを釣ったのですが、習性がわからないので、なかなかうまく行きません。水の中から人の姿を見つけるとエサを食べません。横目でにらんで、泳いで行く。何とも憎らしいと本気で思ったことでした。

それでも7匹ぐらいは釣れました。怖いもの知らずの私は、ジストマになる、と言われながらも、イワナをお刺身にして食べたり、川の中でイワナを手づかみにして捕まえたり、忘れられない楽しい時を過ごしました。イワナを焼き干す火を見ながら猟師さんがいろんな話をしてくれました。

例えばどうやってクマがイワナを捕るかとか、サルの社会にどういうボスがいて、どんな争いがあったかとか、本当によく知っていたんですね。まるで物語のようにおもしろくって、テープに取っておくんだったと今になって思います。もうその方は世を去ってしまわれたので、残念でなりません。

上高地から北アルプスー帯にかけての動物の話を夜ごと1週間ぐらい聞いたわけで、人間の噂じやなくて動物の噂話だったのですが、話がいきいきとしていて、「サル君」であったり、「サルさん」だったり、いろんな名前をつけて呼ぶのです。サルと他の動物たちとの関係もおもしろく、童話を聞く子供みたいに、猟師さんの動物物語に耳を傾けたものです。

もうひとつの忘れがたい経験は、薬師沢を下った時のこと、今は道がついていますが、当時は道がなく、それでも猟師さんは茂った薮の中や森の中、時に沢の中を地下たびでぴちゃぴちゃ行くのですが、驚くほど見事に、歩きやすいところを選んでくれました:彼にどうしてこんなふうに歩きやすいところを選べるのか開くと、「自然の中に道が見える。

自然に道が見えてくる」と答えてくれました。私にはない目で、猟師さんは川の中でも、草の中でも、森の中でもちゃんと歩いて行くべき道が見えているですね。「けもの道」なんだよ、と言っていたのを今もよく覚えています。

人間なんだけれど、動物の能力をちゃんと持っていて、どこでも歩けるんですね。彼にとっては、動物が選んだ道を人間が行くというよりは、自分も動物、生物の一人としてその道が見えるんだよと言う意味ではないかと思いました。

薬師沢を下っていると、パサッという音がして、茂みが動いたんです。ふっと立ち止まると、そこにクマがいました。はじめての出会い・・・。そのクマには胸のところに白い三日月型があって、これがツキノワグマかと思いました。次の瞬間には後ろを向いて逃げて行きました。猟師さんは「子熊だから近くに親熊がいるかもしれない、でもツキノワグマは人間に悪さをしないし、どうってことないんだ」と言うのです。

だから私は、恐怖心を感じませんでした。たまたま、猟師さんと一緒だし、このクマが人間を襲うことはないし、向こうが逃げて行くから大丈夫と言う言葉にはごく安心感がありました。当時は猟師さんとサルやクマもある意味で平等な関係にあったんだと思います。

彼らは命がけで道なき山に分け入り、必要な分だけ山から獲物をもらうけれど、決して山の生き物たちがいなくなってしまうほど追いつめはしなかったのだと思います。

私たちがイワナ釣りに行ってから、ほんの数十年しかたっていないのに、その後登山者がどんどん入り込んで、道ができ、私たちがキャンプした草原にも山小屋が建ってしまいました。あっという間にオコジョもウサギもいなくなって、サルも姿を見せなくなりました。ましてやツキノワグマに出会うなんてことは、わずか数年でなくなってしまいました。

今のようにブルドーザーが山に入ったり、チェーンソーで木を切り始めた時に、人と動物は不平等な関係になってしまった。例えば富士山にも林道ができ、南アルプスにも林道ができた。そういった形で、動物の天国だった山奥に、私たちは土足で踏み込んで、魚をも鳥をも植物たちをも乱獲し、荒らし回る。

人間という一つの種が乱暴にふるまっているわけです。動物の立場にたって、自然環境がどれだけ大事かということと同時に、生態系の中で生きる私たちにとってもどんなに大切であるかを認識しないばかりか、動植物とのバランスを取りながら、生きて行く価値観をきっちりと見定めることさえできないままに、むしろ征服するような形で開発をしてしまったのですね。

私の自然への思いの原点には、あの豊かな野生動物・植物が失われてしまったという心の痛みがあるような気がします。だから猟師も魚もツキノワグマもいろいろな動物たちも、一緒に生きて行く、共生してゆける山や川、そんな地球を再び取り戻さなければならないと心から願っているのです。