自主の旗
子どもや女性、高齢者、障害者の視点にたって
1996年7月
堂本暁子(参議院議員)


毎年4万種の生物が絶滅しているいま、地球環境にたいする関心が急速に高まっています。わたしも参加した1992年のリオの「地球サミット」において、生物多様性条約がアメリカをのぞくほとんどの参加国によって署名されました。この地球上には微生物から植物や動物まで、ありとあらゆる多様な生物がおりなす「生物多様性の世界」がくりひろげられています。

46億年前に地球が誕生し、40億年前に生命が地球上に誕生したといわれています。最初にあらわれたバクテリアが長い時間をかけて地球を酸素でおおい、オゾン層ができ、海のなかで多様化した生物が陸に上陸し、いまのような多様性をもつ生物が存在するようになりました。

生物多様性というのは、たんに地球に多様な生物が数多く存在しているというだけの平面的、静的な概念ではなくて、地球そのものの歴史とかさなる生物の神秘的な歴史を含む概念です。また、生物が複雑にからみあい相互に作用しながら生さているということもあらわしています。

人類もまた、多様な生態系のなかで生まれ、多様な文化、芸術、生活様式をもつにいたったのです。ところがいまこの生物多様性の世界に大きな異変がおきています。毎年約四万種が絶滅しているといわれます。地球の営々たる営みのなかで生まれた多様な生物が生存の危機に直面しています。

人類が地球上に存在しつづけるためには、生物多様性の価値観をもってもう一度、経済や文明のあり方を問いなおす必要があります。人間性を尊重する価値観にもとづいた政治へ日本は戦後、高度経済成長にむかって新幹線のような勢いでつっ走ってきました。

その結果、国民総生産(GNP)が世界の1、2位をきそうような経済大国になりました。しかし、一方では環境の破壊、人口の急増、食糧危機などの地球規模の問題が生じています。いま社会のあり方、生活のあり方を根本から変えていく「変革期」を迎えています。

またそれは価値観の転換が求められることを意味します。経済至上主義で、企業が利益をえることだけ、物質的に豊かになることだけに重点がおかれる価値観は見直されなければなりません。普通の人の視点にたって政治をとらえなおす必要があります。そのためにはつぎのようなバランスが大事になります。

一つは、開発と福祉、環境とのバランス、もう一つは、世界における日本と他の国とのバランスです。日本は大量消費を見直し、もう少し質素な生き方にトーンダウンしてもいいのではないでしょうか。

日本が大量消費をしている一方で、世界の人々、とりわけ経済的に発展途上にある国の人々が貧困と飢餓にみまわれているといったアンバランスは許されません。わたしたち日本人は、他の国と仲よくできるような生き方を選択しなければなりません。

そのことは同時にほんとうの豊かさがなんであるかを考えることになります。21世紀にむけて日本はどのような政治を選択すべきか、政治のあり方、国の将来像をどのように設定していくべきか、といったことを真剣に考えていかなければなりません。

経済だけに価値をおくのではなく、人間らしく生きること、生活を重視すること、環境を守ること、男女の平等を実現すること、障害者や高齢者を大事にすることなど、人間性を尊重し人権を守るといった価値観に転換していかなくてはなりません。

そのような新しい価値観にもとづいた政治を21世紀にむけて実現していく必要があります。女性の視点で変えていく男性が主導してきた科学、開発、経済発展といった方向性がいまや限界にきており、地球破壊という副産物をもたらしました。

人類は反省するにあたって、女性の視点を見直し、政策としてとりあげるときにきているのです。女性が住みやすい社会は、男性も住みやすい社会です。たとえば、働きばちのように、夜中まで家庭をかえりみないで働いているお父さんもいました。

エコノミックアニマルになって過労死する生き方よりも、家庭の時間、恋人どうしの時間、親子の時間などを大切にする生き方が人間的で豊かなのではないでしょうか。男性も女性も人間的な豊かさを求めていくことは非常に大事です。人間の生き方をより豊かにしていくために価値観を変えていくことについては、女性のほうが敏感です。

子どもを生み育てる性である女性のほうが、子どもがアトピーになったり、登校拒否になったりすることに心を痛めます。食べ物が汚染されたり、ゴミの捨て場がなくなったりして困ると感じるのも女性です。敗戦直後の50年前は焼け野原になった東京をどう復興するかということが第一の課題でした。

いまは大量生産、消費することよりも、いかにごみを滅らし、どのようにリサイクルするか、ということが問題となっている時代です。そういう時代になってくると、女性の考え方、視点が生きてきます。

多様性が認められる社会にこれまで日本の経済をささえてきた人たちが高齢期を迎えています。高齢者が、豊かな老後、豊かな人生をおくることができるようにするという問題があります。一人ひとりが自分らしく個性をもって、生まれてから死ぬまで生きられることが必要です。

高齢社会を迎えた今日、人々の多様な生活や価値観を認めていかなくてはならないと思います。埼玉県のある高齢者の養護施投にいったときに、一人のおばあさんがぼろぼろ涙を流しながら「わたしの人生は終わりだ」というのです。

「どうしたのですか?」と聞くと、この施設にはいるとき和服をもってきたが、この施設にはベッドの脇に小さな引き出しがあるだけでおくところがなく、自分のうちに送りかえすために梱包しているところだというのです。そこの施設のおじいさんとおばあさんは、みんなおそろいのトレパンとトレシャツを着せられていました。

一人ひとりが生きてきた過程がちがい、培ってきたライフスタイルもちがうにもかかわらず、それを全部捨てさせられてしまうのです。なんて味気ないんだろうと思いました。

生涯を自分らしく生きていけるということは人間にとってとても大事なことだと思います。ぜいたくをするということではなく、高齢者もできるだけその人らしさ、自分らしさを保障できる社会がいい社会ではないでしょうか。いまはこれまでの価値観と逆の発想をする時代だと思います。子どもたちにしても、いま8万人くらい不登校児童がいます。

むりに同じ教育をおこない、同じ枠におしこめようとするからです。多様な教育のあり方を選択できるようにしていくならば、いまほど不登校児はふえないのではないがと思います。障害をもっている人の場合も、障害者というレッテルをはるのではなくて、障害は人間のかたちの一つの個性ととらえ、自分らしい豊かさを追求できるように保障しなければならないと思います。

これが真の豊かさだと思います。子どもたち、高齢者、障害者の思いや存在が大切にされる社会、それぞれの人がそれぞれのかたちで質素に、かつ自分らしく生きられる日本がいちばんいいのではないでしょうか。平等の立場で国際貢献をわたしは、中国、タイ、インドネシア、インド、ブータン、ミクロネシアなど多くの国々にいきました。

それらの国々にいって思うことは、日本はアジアのなかにあるということです。ですからアジアの国々から日本はきらわれないようにし、また仲よくしなければなりません。日本から植民地支配された国の人々は侵略されたことを決して忘れません。

わたしたちは日本がおこなってきた植民地支配、侵略戦争などを率直に認めその事実を決して忘れてはいけないと思います。アジアの国々と親しくつきあっていくためにはまた、日本が平和を大事にしていることを示しながら、他の国と平等の立場で真の国際貢献をおこなっていかなければならないと思います。