月刊子ども論
優生思想に基づく差別規定は削除されたか
女性の権利を軸に「母体保護法」の再検討を
1996年8月
堂本暁子


優生保護法の一部を改正した「母体保護法」が、先の通常国会で6月18日に成立した。

この自民党から議員立法として出された改正案は突然、6月14日の金曜日に衆議院の厚生委員会に委員長提案として出され、審議されることなく、その日のうちに衆議院本会議を全会一致で通過し、週明けの17日月曜日には参議院に送られ、厚生委員会で全会一致で採択した上、明くる18日火曜日には、参議院本会議で可決成立した。

この間、わずか5日間という異例の速さであった。優生保護法の持つ意味の重さを考えると、女性や障害者にとって納得のいかない非民主的な扱いだったとしか言いようがない。優生保護法は、終戦直後の1948年に、刑法第29条堕胎罪が禁じる人工妊娠中絶を合法化する特別法として、一夜にして成立した。急激な人口の増加を抑制するためであった。

当時、衆院議員として家族計画問題に取り組んでいだ加藤シヅエさんは、避妊より人工妊娠中絶が先行したことに釈然としなかった、と述懐している。しかも、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的とする本法は、心身障害者等に同意なく、医師が優生手術(不妊手術)を施すことができることを定めている。

これは、障害者の生命や存在を軽視し、人権侵害の著しい規定である。今回の改正は、この部分の削除に主眼が置かれていた。

以来約半世紀、女性や障害者は、この差別的な堕胎罪と優生保護法の撤廃を求めてきた。特に自民党が中絶の全面的な規制を狙った改正案を提出しようとした82年には、女性による反対運動が全国的に広がり国会への上程を阻止した。

一方で、女性の健康を包括的に捉えたリプロダクティブ・へルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)の概念が、国際的な盛り上がりを見せ、94年にカイロで聞かれた国際人口・開発会議の行動計画、さらに95年北京で開催された第4回世界女性会議の行動綱領に、具体的にもり込まれた。

女性たちはこの概念に基づいて、すでに法律作りの作業にも入っていた。その矢先に今回の改正案が出された。優生思想の削除は評価できるが、自民党案は以下の点に問題があった。

1、「母体保護法」という名称。
優生保護法から優生思想を削除すると、残る条文の内容は、人工妊娠中絶と不妊手術、避妊である。「母体保護」とは、妊娠している女性が無事に出産できるようにすることを指しているが、人工妊娠中絶や不妊手術は、全く逆の行為であり、名称と内容が一致しない。

2、リプロダクティブ・へルス/ライツに逆行する改正
生涯にわたる女性の健康を総合的に捉えるリプロダクティブ・ヘルス/ライツ実現の方向に逆行している。女性を母性という視点に限定するのは、むしろ後退ですらある。

3、非民主的な審議プロセス
49年間にわたって女性と障害者を差別してきた優生保護法の改正にあたって、その問題点を明確にし、今後の妊娠、出産、避妊、中絶等に関する政策を十分に審議すべきであった。ハンセン氏病患者やエイズ患者に対して厚生大臣は謝罪した。優生保護法によって人権を侵害された女性や障害者に対して、なぜ謝罪の一言もないのか。

今回の、全く審議をしないという手続きは、人口の半分を占める女性を無視した暴挙である。超党派の女性議員は、最後まで法律の名称を「人工妊娠中絶法」あるいは、「妊娠に係わる健康等に関する法律」に変えるよう強く要請したが、自民党はこれに応じながった。「母体保護法」は、女性議員としては賛成しがたいものだったが、一方で優生思想の削除を阻止することができず、苦しい選択を強いられた。

今回の改正案が、82年の改正案と違っていたのは、人工妊娠中絶の規制ではなく優生思想を削除する改正案だったことである。そのため、女性の側から全面的に反対することはできなかった。そこで女性議員は、今後残された課題を審議する場として、与党政策調整会議直属の「女性の健康の権利等の検討プロジェクトチーム」の設置を要求した。

そこでは、思春期を対象とした十分な情報の提供や相談等のサービス、安全な避妊、妊娠・出産・中絶に関する自己決定権、更年期障害の総合的な研究や予防、治療サービス、性暴力の被害防止等リプロダクティブ・へルス/ライツの視点に立った政策を検討していく。この場合、健康とは病気や障害がないことではなく、個人がその人なりに最も望ましい状態で生きられることを意味している。

最終的には、堕胎罪を廃止した上で、女性健康基本法あるいは、女性健康保障法と言った法律を早急に立案すべきであろう。これは、全ての女性の強い意思と、具体的な運動の展開によって、はじめて実現するものだと信じてやまない。