緑の行革
環境政策は「みどりの行革」から
1997年4月
参議院議員 堂本暁子


新党さきがけの基本的な政治理念の一つが「環境重視」である。

それは大気の温暖化、オゾン層の消失、生態系の破壊などが進む地球環境への危機感からと、21世紀には、環境保全が国の任務になる、との明確な認識による。さらに、わが国は環境分野で先進的な役割を果たすことによって国際的にも貢献していかなければならないであろう。

そのためには政治的決断とリーダーシップによって、国内においてはもちろんのこと、国際的にも環境資源を収奪することなく、現在の大量消費型の経済社会システムを改める環境政策を国として確立しなければならない。と同時に、それを強力に実行できる環境行政組織をつくりあげることが求められている。つまり「みどりの行革」である。

1992年の「地球サミット」は、これまでの人類の諸活動が地球環境を破壊してきたことへの反省に立ち、今後、人類が存続できる地球環境を保つために、参加国は地球が許容する範囲内での持続可能な開発に留め、大量消費型社会から資源循環型社会への転換を図るよう努力することに合意した。

その理念を受けて、わが国は環境基本法を制定し、さらに実践のメニューである環境基本計画が作られた。

にもかかわらず、なぜ30年も前に計画された環境破壊的な公共事業が見直されないのか、廃棄物に対する排出者責任を徹底できないのか、省エネ・省資源が実現できないのか、沿岸、湿地、水田、森林など重要な自然環境の破壊と劣化が防止できないのか、絶滅危惧種の動植物が守れないのか、市民参加の政策づくりができないのか。

「循環型経済社会の実現、自然と人間の共生」とお題目のように唱えながら、環境政策の実があがらないのはなぜか。

その原因は、はっきりしている。それは、国として本気で循環型社会を目指すという政治的決断を行っていないためであり、また、個別具体的な局面では、経済的打算が優先し、既得権益にしがみつく企業と価値観の変更を嫌う行政の壁に阻止されているからである。

1.偽りの「環境先進国」日本

水俣病など、日本の産業公害は人を死にまで至らしめた。1970年の公害国会を契機に環境庁が設置され、公害対策と公害防止技術の開発によって、わが国は「公害列島」から脱却することができた。その成果は国際的にも高く評価された。日本は「環境先進国」だと政府が胸を張る所以でもある。

しかし、問題は、それ以後の20年間で、工業地域における局地的な産業公書から都市・生活型公害へ、さらに地球規模の環境破壊へと、事態は急激に悪化したにもかかわらず、それに対応して政策を前進させていないのである。

国際的に強い批判を浴びているのは、第一に、相変わらず巨大な資源消費国であること、第二に、自然環境の保全に消極的なことである。

日本の環境政策は、産業公害を克服した成果に安住してしまい、生物多様性の保全、天然資源の保護、廃棄物・リサイクル対策、化学物質対策等に関しては、国内的にも、また、対外的にも、欧米諸国はもとよりアジアの新興工業国と比較しても、既に立ち遅れている。

2.真の「環境先進国」になるための課題

1)政治のリーダーシップ
戦後、わが国は経済成長路線をまっしぐらに突き進んできた。経済活動を時には抑止し、あるいは規制する環境政策は、これまでの政・官・財の癒着構造の中で、敬遠され、巧妙に排除されてきたきらいがある。

まさに「総論賛成、各論反対」なのである。「環境先進国」を実践するのは決してやさしいことではない。国としての基本姿勢、経済社会体制、市民のライフスタイルに至るまで抜本的に変えていかなければならない大仕事なのである。

この大仕事をなしとげるには、経済構造、財政構造、社会保障や教育制度などの改革に当たって、環境の視点から見直し、経済社会全般にわたる「環境の将来ビジョン」を明示し、国民のコンセンサスを得なければならない。

つまり、経済成長と環境への負荷の関係を徹底的に検証し、どのように産業構造を変革しながら、人間の健康と安全な生活環境を保障する循環型社会を構築するのかである。そのためには、長期展望に立った総合的な行動計画を実施する明確な意志決定と、実現するための強力な政治的リーダーシップを発揮しなければならない。それは次世代への責任なのである。

2)「みどりの行革」
ところで、国会において「環境の将来ビジョン」を決定したとしても、「みどりの行革」を行わない限り、実現は難しい。現在の行政は継続性を重視し、環境保全を理由に既存の事業を変更することはほとんどない。

しかも、アセスや規制の権限が実質的には各省庁に分散しているために、各省庁は所管の事業を環境配慮より優先させ、環境配慮は微調整にとどまることが多く、将来世代や国際的な視点に立った大所高所からの取り組みはできないシステムとなっている。このような現在の行政システムは改革しなければならない。「みどりの行革」が必要な所以である。

3.「みどりの行革」の具体案

1)環境行政組織の機能強化
ではどのようにして改革していくのか。行政改革には、たて割り行政の弊害を除去するため、「効率」の観点から官庁を統廃合するやり方と、腐敗や暴走を押さえるため、「公正」の観点からチェック・アンド・バランスが機能するように官庁を分けるというやり方がある。

現在の22省庁体制をスリム化し、統廃合するという行政改革のやり方では、省庁の権限の大幅な縮少が達成されたとしても、現在の大蔵省に匹敵する大公共事業省、大経済省が生まれかねない。

これらの巨大官庁に対抗して、チェック・アンド・バランスの機能を果たすことができる強力な環境行政組織ができなければ、地域開発や公共事業を国レベルの環境的配慮から変更、

あるいは規制することは極めて難しい。したがって、「みどりの行革」を実現するには、各省庁に分散している環境政策の主要な部分は環境省に統合し、経済官庁や公共事業官庁に対し強力なカウンター勢力を確立しなければならない。

2)環境政策決定システムの変更
環境政策を各省庁との調整に基づいて決定するシステムを廃止する必要がある。環境基本法は、その具体的な実施の段階では「各省庁との調整」というプロセスの中で芽を摘まれ、骨を抜かれた。

各省庁が主張する既得権として主張する事業を環境面からチェックできない現行のシステムでは実効をあげることはほぼ不可能である。特別天然記念物の第1号指定のアマミノクロウサギも西表島のイリオモテヤマネコも守れない。地下水の汚染も全国規模で進んでいる。

環境関連の仕事を環境省に統合することのメリットは、これまで各省庁の調整により進まなかった政策が、「各省庁との調整」の必要がなくなり、一人の大臣の政治的リーダーシッブによって実現できることである。

それでも、「調整」作業は残るかも知れないが、その場合でも、環境庁対多数省庁という調整だったのが、環境省対公共事業省、環境省対経済省といったように二省間の対等な「調整」となる。

従って、環境省は強力な開発官庁や経済官庁に対抗しうる官庁として機能できるのである。

3)予算制度の改革と行政組織の再編成
「みどりの行革」を推進するには財源の裏打ちが必要である。環境庁の予算は増えたとはいえ、やっと800億円。国家予算の0.1%にすぎない。

長良川河口堰の事業費約1,500億円に比べてもあまりにも少ない。シーリングは国家予算の歳出全体を抑制するが、その弊害は顕著である。シーリングが始まる前に巨額の予算を確保していた官庁に既得権を与える一方で、環境庁のように次々と新しくやるべき仕事が出てきても、上限が限られているために、それを実行することができない。

通産省が地球環境問題を手がけ、建設省が河川環境に目を向けてきたことは評価すべきであろう。しかし、何故、環境政策を一元的に行うために創設された環境庁がその役を果たせないのか。それは、環境庁の権限が極めて限定されていることと、シーリングによる予算の上での既得権益がないためである。

行政機構にチェック・アンド・バランスの原理を導入するのであれば、環境省に一元的にチェック機能をもたせるべきである。経済官庁と公正取引委員会との関係、証券取引等監視委員会や金融庁なども類似の例と言えよう。

4)環境情報の公開
大気、水、土壌、生物多様性にどのような悪影響を与えるか、あるいは、与えるかの可能性について公共機関や企業が行う環境影響評価の資料は、すべて公開されなければならない。欧州議会をはじめ、アメリカでも環境情報の公開制度が設けられているが、我が国では、市民が十分に情報を得ることができないでいる。

早急に情報公開法を成立させ、環境情報の公開を保障しなければならない。

4.「みどりの行革」と環境諸施策

1)温暖化を防止するための法制度
地球の温暖化は、産業革命以来の近代工業社会がついに地球の気候さえも変えてしまった現象に他ならない。その影響は、自然の生態系の変化や、予測し難い干ばつや熱波、暴風雨をもたらし、また、海面水位の上昇などあらゆるところにあらわれる。

国際社会は、地球温暖化を防止するために、拘束力のある国際約束をつくろうと、今年12月に京都で気候変動枠組み条約の第3回締約国会議を開催する。日本は、この地球温暖化京都会議を成功させるとともに、拘束力のある国際約束を率先して確実に実行しなければならない。

京都会議後は、地球温暖化防止のための法制度が必ず必要となる。「簡素で質の高い生活」が、日本にとっても世界にとっても必要となる時代が訪れつつある。

原子力の開発と安全性の確保とがチェック・アンド・バランスの関係にあるように、温暖化対策として効果がある自然エネルギーの活用や省エネルギーの推進は、エネルギーの安定供給政策とは区別して、環境政策として強力に推進しなければならない。

2)化学物質による環境リスクの低減
化学物質は生活に有用なものであるが、同時に、ガンを発生させたり、生殖機能にも障害を与えることが知られてきている。化学物質による人の健康や生態系への影響のおそれ(環境リスク)を低減していくことは、今や世界的課題となっている。

この分野は、日本では環境庁、厚生省、通産省など多くの官庁の縦割りになっている。諸外国は、既にこの問題の重要性に気づき、一元的に化学物質対策に取り組んでいる。化学物質対策の核心は、環境リスクの評価・管理の徹底と、多種多様な化学物質の環境リスクを総体として削滅するためのシステムの構築である。

またリスクに関する情報公開が欠かせない。

3)どうやってゴミを減らすか
家庭から出るゴミの量は膨大である。処分場も不足している。産業廃棄物は事業者が自己処理する仕組みとなっているが、廃棄物業者による不法投棄、不法処理も後を絶たない。

現在の行政では、廃棄物対策は厚生省、リサイクル対策は通産省を始めとする事業官庁となっている。廃棄物と有価物との間でキャッチボールをしていては対策は進まない。まさに、環境問題として新しい環境省が強力に取り組むにふさわしい課題である。

この問題の最大の処方箋は、産業におけるゼロ・イミッションの考え方を徹底することである。製造、使用の過程で生じる廃棄物を極力少なくする製品や工程を採用するとともに、使用済み製品のリユース、リサイクルによる再利用を図り、

やむを得ず廃棄する場合には、排出量を最小化するため、そのコストを排出者が負担する経済的手法(ゴミ収集の有料化やデポジット)の導入が必要である。また、市民ひとりひとりのライフスタイルにおいても、使い捨てや過剰包装をやめ、ゴミの量を減らす必要がある。

4)既存の政策、公共事業などの見直し
環境を保全する際の障害は、いわゆる「既得権」である。既存の事業も環境配慮から改善したり中止できるようにすべきで、従来の硬直化した行政から、時代の要求に対応できる柔軟な行政への変革が不可欠である。

以上は数例にすぎないが、すべての政策を環境配慮の視点で見直す「みどりの行革」によって、省庁間の隙間を埋めるような部分的施策から総合的、包括的な環境政策の推進がはじめて可能になる。

「みどりの行革」は従来の経済拡大型政策から省エネ・省資源・循環型政策への転換であり、質的行革であり、速やかに実施することが、政治家に課せられた最大の課題だと認識している。

5.みどりの国土計画〜公害列島から美しい日本列島

1)環境の視点からの国土
日本列島は森と海がもたらす自然の美しさに恵まれてきた。また日本人は自然の循環を利用することにも長けていた。

田んぼは森から流れ出る水の養分を吸収し豊かな土壌を作り、そこに生息する微生物や動植物が有機物を分解し、一方で光合成や空気中の酸素を固定するなど養分を生成し、治水面から見ればミニダムの機能を果たしてきた。

しかし、今日、農林業の疲弊の進行とともに、これらの自然について適切な管理が行われない一方、ゴルフ場のような持続的でない開発が進行し、国土の健全性とでもいうべきものが損なわれつつあり、これらの自然の持つ公益的な機能が減衰するおそれが生じている。

国土の67%を占める森林は、従来、木材生産など経済活動の場として扱われ、国土の骨格を形成する極めて重要な生態系であるとの認識が不足している。身近な自然として貴重な存在である里山林も急速に減少している。山奥では伐採された後に人手不足から何ら手を加えることなく、荒れるにまかせた状態で放置されている山林が増えている。

また、我が国の自然環境が織りなす生物の多様性が最近になって急速に減少している。野生植物の6種に1種は絶滅の危機に瀕しており、1つの種が滅びると食物連鎖の関係等で他の植物や昆虫、動物も間接的にしろ直接的にしろ絶滅の淵に立たされることが多い。

現在、地球規模で生物種の絶滅は進行しており、それも地球の歴史が始まって以来のスピードで進んでいると推測されている。

2)みどりの国土計画
国土計画は、日本列島の道路、鉄道、工業開発、港湾整備など開発中心のデザインである。

身の回りの小さな自然から田園地帯、里地、里山の雑木林、山奥の原生林まで、また、干潟、砂浜、河川、湖沼など、国土に存在する多様な生態系総体として適切に保全し、管理していくという視点からの国土計画、つまり「みどりの国土計画」がない。

このため、現在の国土行政を全面的に見直す必要がある。

3)自然と共生する日本人
江戸は生態系や水の循環機能を巧みに取り入れたエコロジカルな水の都であった。東京になって、埋立や護岸工事によって、水循環のシステムは断ち切られ、東京湾やそれに注ぐ河川は瀕死の状態にある。東京だけではなく、日本中で生物相の貧困化が進んでいる。

「虫と人間のどちらが大事なのか」と開き直る人もいるが、私たち人間も動物の一種であり、生物多様性が破壊されれば人類の生存も危ぶまれるのである。従って、人間の都合ばかりを優先させてはならない。人間と自然との共生が重要なのである。

森林などの地下水涵養機能や保水機能を維持・向上させ、流域全体において環境保全上健全な水循環を回復することにより、河川をよみがえらせ、清らかで豊かな水や生物の多様性をとりもどす必要がある。

6.自然環境を保全するための法整備の強化

産業公害の規制に関する法制度は実効をあげたが、自然環境を保全するための法制度は弱い効力のものでしかない。

「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)」は、野生動植物を保全することを目的にしているが、各省庁との調整を義務づけているため強力な効果を発揮できない。

現在の事業官庁には、既得権を徹底的に守るため硬直的な法律運用をする力学が働くので、希少種を保全することはなかなかできない。例えば、沖縄の西表島のイリオモテヤマネコは絶滅危惧種だが、農業改良事業法が優先したため、4匹のヤマネコの住む国有林は開発されてしまった。

種の保存法に基づき、生息地等保護区管理地区を指定して一定の行為の規制を行うことができるが、同法施行規則によって、海岸法、河川法、森林法、道路法などに基づく行為は許可を要しないとされるケースがあるため、種の保存法が機能しないのである。

これらの問題に対応するためには、自然環境保全関係の制度を強化し、我が国の生態系保全の核となる、自然維持機能を発揮すべき森林や農地・休耕地、水域を農林水産業といった産業部分とは別の行政組織が責任を持って管理し、保全することが極めて重要となる。そうした政策を担当するためにも環境省は必要である。

7.市民参加と環境アセスメント法

先進国の中で環境アセスメント法を持たない国は少ない。わが国もやっと97年の1月20日に開会した第140回国会にアセスメント法案が上程される。

今回提出されるアセスメント法案は、大規模な開発事業の実施の前に、事業が環境に及ぼす影響について調査を行う(環境影響評価)とともに、地方公共団体、住民等に意見を聞く手続きを規定し、それらの結果を踏まえて、事業の許認可等を行うことにより、事業の実施において環境の保全に適切な配慮がなされることを目的としている。

対象は、道路、ダム、鉄道、飛行場、発電所等規模が大きく環境に著しい影響を及ぼすおそれがあり、かつ、国が実施し、又は許認可等を行う事業である。これは、従来の閣議による環境アセスから、事業種を拡大している。

また、住民等の意見をもとに評価の方法を走め、準備書を作成したのち、再び地方自治体や住民から環境保全上の意見を聞くシステムが新たに導入される。第140回国会においてアスメント法が成立した場合には、十分にこの法律が機能することが重要である。

また、なによりも透明性が求められる。今回のアセスメント法は第一歩であり、将来的には事業者のアセスの他に第三者機関による客観的な環境影響評価が可能なシステムに移行していくべきであろう。

8.環境訴訟手続法

またこれらの環境保護法とともに、開発行為に対して市民が異議を述べ、これを司法的に審査する環境訴訟手続法が整備される必要がある。現在は、行政法上このような法手続がないため、裁判所は開発行為に対する訴訟をきわめて限定的にしか取り上げないし、差し止めなどもまず認められることがない。

このことが、これまで強引な開発による環境破壊がなされてきた大きな原因の一つとなったのである。

9.循環型社会の実現は「環境革命」

ここまであげてきた環境政棄を実行に移したら、経済の成長はない、景気も回復しないとの反論があるに違いない。循環型社会を実現することは、18世紀の産業革命以降ヨーロッパから世界に広がった自由市場経済、尽きることのない利潤追求と相反する要素は確かに少なくないのである。

しかし、科学技術の革新と自由市場の形成による経済社会システムが、このままでは人類の存続の基盤を崩壊させるおそれがあることを我々は知っている。従って、経済の質的転換が最大の課題であり、強い意志をもって行動計画を実現する以外にない。産業革命の次は「環境革命」と言われるのも、こうした本質からのことである。

地球環境を保全しない限り、すべての生物の生命維持装置の破壊につながりかねないのである。政治家の責任は重い。