国際開発学会ニュースレター
ジェンダーと開発〜未来に花開くWOMEN'SPOWER〜
1997年8月
堂本暁子(参議院議員)


「開発に女性の視点を」というと、この頃は「日本のODAも、熟心にWID(WomeninDevelopment)に取り組んでいます」と、外務省やJICAの担当者は得意気に答える。確かに以前に比べれば大変な進歩である。

最近は難民や貧困問題などいわゆる人間開発(HumanDevelopment)に力を入れだしたことは事実であり、評価もできる。しかし「開発と女性(WID)」のプロジェクトを展開するだけでよいのだろうか。

世界が日本に求めているのは、真にジェンダーの視点に立った開発である。ジェンダーとは女性と男性とが平等の権利を持つことであり、それは杜会的にも経済的にも政治的にも、あらゆるレベルで意思決定の場に、さらに実施の現場に女性が参加してゆくことである。

UNDP(国連開発計画)は、ジェンダーとは「男性にとっても女性にとっても、選択の機会が平等にあることである」と指摘している。が、果たして援助国としてのわが国はジェンダー社会として成熟しているだろうか。

真にジェンダーの視点からの開発を援助するのであれば、自分の国でまずジェンダー杜会を実現することが先決である。しかしわが国を振り返ってみると、とてもそうは思えない。

文部省の発表によると、大学に進学する女子学生は急増しており、1997年5月現在で全大学生の34.1%を占めた。男女平等の教育を受ければ、向上心に燃え、あるいは自分の仕事なり、専門牲を持ちたいという若い女性たちが大学に進学を希望するのは当然で、近い将来34.1%は50%に近づき、それを超えても不思議はない。

しかし、大卒女子学生の就職はひどく厳しい。不況の影響をもろにうける。平成5年現在、女性労働者の数は2009万人に登るが、その3分の1はパートタイムなどの時問給労働者で管理職につける女性は1%に過ぎない

(1993年総理府労働力調査)。

その実態は国際比較によってより明らかになる。アメリカでは男性管理職100に対して女性管理職の割合は67、スウェーデンでは64、オーストラリア71、ニュージーランド41、タイ29と2桁以上の国が多い中で、日本はわずか9である(データは1990年のもの出典:国連開発計画レポート1995年版)。

女性議員の割合も国会議員で7.6%、地方議員で2.2%である。つまり日本では政策決定の場に参加する女性が極端に少ない。結局、多くの女子大学生にとっては、受験戦争を勝ち抜き大学に進学、卒業しても、それに見合う能力を発揮する場と機会が十分に与えられていない現状がある。

従って国内の政策や援助の方針、あるいは法律の立案、企業の営業展開などの決定のプロセスに女性の視点が反映されにくい。UNDPが行った女性国会議員、女性管理職の割合、女性の所得などを基準に測定する「ジェンダー・エンパワーメント測定」で見ると日本は37位、と先進国らしからぬ男女の社会的不平等の実態が如実に示されている。

冷戦崩壊後の世界は、経済成長至上主義から人間開発へと価値観が大きく転換した。そして人間開発の要がジェンダーである。日本がいつまでも未成熟なジェンダー杜会であれば、国際社会からいずれは認められなくなる。しかし私はこの事実をマイナスに捉えようとは思わない。

開発に関心を抱く女性が最近は増えており、杜会が彼女たちを積極的に受け入れさえすれば、彼女たちの可能性は大きく花開くだろう。それには男性たちがいかにジェンダーを理解し、女性を補佐役としてではなく平等な関係の中で、21世紀に向けて時代の要求に合ったジェンダー杜会を実現していくかが鍵となる。可能性は限りなく大きい。夢もある。