プレジデント
不審漁船事件の直前に平壌に渡った
著者が見た「近くて遠い国」の食糧事情
独占手記……「土」から見えた「もうひとつの北朝鮮」
1999年5月
文 堂本暁子(参議院議員)


コメ以前に足りないものがあった……。その国に暮らす人々は日本のことを知らない。だが、日本人の側も北朝鮮の実相を知っていると言えるだろうか。実のところ、あの国の食糧事情はどうなっているのか。

ジャーナリストとしての視点と、環境問題の専門家としての経験を持つ著者が、現地の農業関係者に会い、その手で田や畑の土に触れて気づいた「手がかり」とは。

春の平壌は結婚シーズン金日成像に花を捧ぐ新郎新婦四度目の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)訪問は、次から次へと新婚夫婦に出合うところから始まった。

3月に入ると平壌の冬は終わり、だんだんと気温が上がってくる。空港に降り立ってからの風景にはまだ花の色はなく、一面が枯れ木と枯れ草による茶色なのだが、平壌に暮らす市民には3月は春の始まりなのだという。

そのためか、3月は結婚シーズンでもあるらしく、国会議事堂がある万寿台の金日成像の前には、次から次へと新婚夫婦が訪れて献花を行っていた。

それぞれに付添人が一人ずつ付き、4人が並んで献花を行う。次から次へと新婚夫婦がやってくるので、思わず「今日は集団結婚式でもあったんですか」と聞いてしまったのだが、北朝鮮にはそのようなものはないそうだ。

かつては見合い結婚が多かったそうだが、最近は恋愛結婚が増えているとかで、「親が決める見合いの相手ではなく、好きなあの人と結婚したい」という内容の流行歌もあるらしい。

男は29歳、女は26歳ぐらいが平均結婚年齢だという。新婚夫婦が金日成像に花を捧げるのは、国民はすべて金日成の子供であり、“父”に新しい家庭をつくる報告をするという考え方からくる。

北朝鮮の土壌はどうなっているのか……それを知ることが今回の訪朝の目的だった。世界自然保護連合(IUCN)副会長・北東アジア地域理事としての視察である。IUCNは1948年に設立された自然保護に関する世界最大の国家・政府機関・NG0の連合体であり、スイスに本部がある。

98年7月時点での会員数は138ヵ国、927団体。うち国家会員は74ヵ国、政府機関会員は20機関、NGO会員等は743団体。

日本は環境庁と15のNGOが会員となっており、日本政府は95年に国家会員となった。私は94年から日本・韓国・北朝鮮・中国・モンゴルを対象とするIUCN北東アジア地域理事を務めており、97年からはIUCN全体の副会長に就任している。

過去3回の訪朝はいずれも今回と同じく環境問題がテーマである。最初の訪朝は96年1月、水害の視察を目的に新義州を訪れた。2回目は一昨年4月、やはり、水害直後の現地を訪れた。

同じ年の2月に与党3党(当時)訪朝団の一員として三度目の訪朝を行い、今回はそれ以来である。私たちは3月15日に成田を発ち、北京に一泊したのち16日午前に平壌に入った。一行は私、秘書の山本美和、ODA相手国の農業フィジビリティー・スタディーを長く続けてこられた農業コンサルタント・君島崇氏の3人。

到着したその日に現地の受け入れ先であるアジア太平洋平和委員会との懇談を行った。翌17日から土壌の検査をしたかったのだが、先方の都合で宿泊先となったホテルの周辺を歩く程度のことしかできなかった。

以前は迎賓館が宿泊先だったものが、今回はホテルである。そうなった理由が経済的なものなのかどうかは推察するしかない。ただ、泊まる側からすればホテルのほうが便利であったことは確かだが。燃料が、窒索肥料か足りない痩せた土地がさらに痩せ18日に平壌郊外にある農業科学院(日本の農林水産省に該当)を訪ねるところから視察は始まった。

ここには北朝鮮の農業史、現状、方針が展示されており、副院長の李光寿氏らが直接それらを案内してくれた。そのあと農業科学院の裏にある水田2ヵ所で土壌を採取した。

日本の水田にもさまざまな種類がある。足が深く埋まる軟らかい田もあれば、あまり沈み込まない硬めの田もある。私たちが行った水田は後者に近く、粘土質のものだった。

もちろんようやく春を迎える時期だったので、水は張られておらず、昨年収穫された稲の切り株が残っている状態である。李副院長によれば北朝鮮の国土は、その多くがよく水を通す「鉱質」だという。土壌を測定してみると窒素含有率が低い。冬の間に養分が流れてしまうので、この時期の数値がいちばん低いものになるのだが、もともと粘性も高く肥科となる成分の含有率が低いのが北朝鮮の土壌だという。

日本で言えば中国地方の土壌がそれに近い性質を持つらしい。朝鮮半島の歴史を遡ってみても、農業が盛んだったのは南であり、北は工業地域だった。大量の窒素成分を人工的に補いながら生産を続けてきたのが北朝鮮の農業だったのである。

日本の水田も肥沃度が低い土地には肥料を投入することで農地としての能力を高めてきた。現在の北朝鮮はその肥料が不足しており、二重の意味で肥沃度が落ち込んでいる。カリ系養分は相当量土中に含まれているというが、まず窒素肥料が圧倒的に不足しており、次いでリンが不足しているという。

北朝鮮政府は、自立民族経済建設政策の一環として食糧の自給を目指してきた。耕作面積は約200万ヘクタールといわれている。うち水田は60万〜70万ヘクタール、畑が130万〜140万ヘクタールと見られる。北朝鮮の農業生産高が最も高かったのは89年頃だという。この年は600万トン前後の穀物(麦、コメ、トウモロコシ)生産高があった。

だが90年にソ連の崩壊が起こり、ソ連からの原油輸入量が激減した。原油がなければ水の電気分解ができず、肝心の窒素肥料をつくることができない。

FAO(国連食糧農業機関)の資料によれば、北朝鮮には3つの肥料工場があり、生産力総計は窒素成分にして年40万トンだった。私は今回農業科学院で「窒素成分の必要絶対量はどれくらいか」と聞いたのだが、その答えは「年間最低30万トン」だった。

ところが、98年6月現在の尿素肥料国内生産量は年5万7000トン(FAO調べ)。窒素成分含有量を46%として換算すれば2万6220トンとなる。これでは問題にならないくらいに窒素肥料が足りないということになるが、そこは輸入(中国からと思われる)やアメリカ、EUなどからの援助で補ってきた。

援助と輸入による尿素肥料の総計が年9万3100トン、窒素成分に換算して4万2826トン。つまり、必要量の30万トンに対して、国内生産に援助・輸入を加えても、北朝鮮には年7万トン弱の窒素成分しかない。肥料工場の供給力が落ちたところを度重なる自然災害が襲った。

北朝鮮は94年から5年続けて自然災害に見舞われている。94年夏に水害が襲い、95年5月には北朝鮮政府が日本政府にコメ援助要請を行った。そのあとも95年夏、96年夏と大洪水が襲い、翌97年は一転して大干魃となった。高潮被害が発生したのも97年である。

連続する洪水は、石油エネルギーの代替として森林が伐採されていることの影響といわれている。98年は集中豪雨、日照不足、低温によって農作物に大きな被害があった。

98年の集中豪雨は、同時期に日本でも栃木・茨城を流れる那珂川で氾濫被害が発生している。自然の猛威は北朝鮮だけを襲っているのではなく、近隣の日本にも同じダメージを与えているが、日本の場合は国全体に経済的余力があるので特定地域のダメージを補うことができる。

また、日本では洪水によって土壌が流出したとしても、肥料を(過剰と思われるほどに)投入することで肥沃度を保つことができる。

北朝鮮の土壌はこの10年で著しく痩せ衰え、栄養の供給もなされていない。穀物生産高は、現在では300万トンにまで落ち込んでいる。10年で北朝鮮の穀物生産高は半減した。しかし厳しい自然環境・経済環境の中で、よくぞここまでと思うほど北朝鮮の農業関係者は徹底的な工夫をしている。

山間農地では寒さに弱いトウモロコシからジャガイモヘといった適地適作の品種転換を行い、一方ではコメとジャガイモを組み合わせる二毛作が進められている。つまり、水田でジャガイモを作るのだ。農業科学院の李副院長は「これは日本ではやっていないでしょう?」と言っていたが、たしかに日本ではそのような話を聞いたことはない。

二毛作化は生育期間が短いジャガイモをイネと交互に生育することで全体の収穫量を上げようという考えのようだ。ジャガイモは重さで量ればイネの4倍の収穫量があるという。だが、ジャガイモは水分を多く含むので、単純にコメの4倍のカロリーがあると考えることはできない。

「連作によって土地がさらに痩せるという弊害はないんですか」と聞くと、「連作障害についてはよくわかっているんですが……」との答えがあった。李副院長をはじめとする農業科学院の危機意識は非常に高い。自分たちが行っているさまざまな工夫を説明したあとで、日本の農業枝術者が密植(同種の植物などを間隔を密にして植えること)を批判することに触れた。

密植は単位面積当たりの収穫量を上げるが、収穫物を痩せさせるという批判があるのだが、農業科学院の職員は「ここに3年住んで農業をやれば、密植批判なんてしていられなくなりますよ」と語った。

分けつという農業技術の用語がある。稲や麦の根に近い茎の関節から枝分かれすることを意味する。種子から発生した主茎には十数個の節があり、その節から発芽してさらに多くの茎が生まれる。

分けつが多ければ一株当たりの収量は増加することになる。ただしこれは、土壌が肥沃である場合の話だ。日本の水田では1株から平均して20〜30株が分けつする。

ところが北朝鮮では、肥料の少なさが原因となって分けつの量……すなわち穂の数が減っているという。日本ほど分けつしない。だから密植することによって収穫量を上げているのである。

日本の農業技術に関してはよく研究しており、北朝鮮の農業手法に対する批判も重々承知なのだ。農業科学院の試験場では、コシヒカリやササニシキを現地の稲と交配する品種改良も進められており、ジャガイモは下北半島や北海道で栽培されている寒さに強い品種を使った改良研究も行われている。

農業科学院のスタッフは、自国の農業技術の問題に関して特に隠すようなことはなかった。特に「肉牛畜産は遅れている」「機械を使う技術も遅れている」とはっきり答えた。

例えば、かつて天日で行っていた穀物の乾燥作業はどのように行われているか。日本では石油を燃やして行っているが、北朝鮮では麦のカラを燃やして乾燥作業に使っている。私は日本の農業はエネルギーを使いすぎだと思っているので、逆に妙策として目に映ったほどだ。

今回の訪朝ではエネルギー(石油、肥料)と食糧の密接な関係を見た思いが強い。農業科学院の李副院長は「日本の農業人と緊密な連絡を取りたい。両国は土地の性質も作物も似ているのだから」と言っていた。気候や土壌の性質が近いからだろうか、実際にアメリカから送られた作物よりも、日本産の作物のほうが成果を上げているという。

彼らは彼らで、ないないづくしのなかで農業を維持していることにプライドを持っているのだが、一方で、戦後の物資不足・食糧難から生成してきた日本の農業技術に強く注目しているのだ。地元農民の切実な表情「働いても生産量が上がらない」

翌19日は北朝鮮政府の水害対策委員会から話を聞いた。また国土環境保護省(日本の環境庁に該当)のスタッフにも話を聞く機会を得た。午後には、平壌市内から車で20分ほど離れた江南郡ダンコク里の国営農場(水田および畑)を訪ねた。

国外からの訪問者に見せるのだから、ここは今の北朝鮮の中では模範農場に該当するのだろう。

案内役は国営農場地区管理委員長・柳正姫さん。女性である。10年前には7.5トンの収穫量があったこの農場で、今は年3.8トンしか収穫がないという。農場で働く人は最大限の努力をしていた。農場の脇には必ず堆肥の山があり、一切の肥料が無駄にされていない。

日本では有機農業志向が高まっているが、それは日本の土地が肥沃だから言える贅沢な話なのかもしれない。畑は広いので堆肥を運ぶのは大仕事だ。運搬は人力もしくは牛や馬である。労働投入量は非常に多い。

この農場では土壌の採取だけでなく、そこで働く農民からも直接話を聞くことができた。世界どこに行ってもお百姓さんはやはりお百姓さんの顔をしている。自らが耕す土地の性質を体で知悉しており、老若男女を問わず一所懸命働いている。日に焼けた表情はそのことに誇りを持っていることを示してくれる。

だが、そのお百姓さんが言うのは「どれほど働いても生産量が上がらない。今は喉から手が出るほど窒素肥料が欲しいんです」という切実な言葉だった。工夫にも限界がある。言葉としては「いつも幸せです」と言わねばならない国だが、表情には辛さも滲み出る。一所懸命働いているお百姓さんが報われずにいる。

コメ援助だけが日本と北朝鮮の間にある農業問題なのではない。コメを収穫するための土地、その土地の栄養という視点も必要なのではないだろうか。

過去3回の訪朝のときは、水害によって土壌が流出している現場をまざまざと見た。だが、今回気づいたのは、北朝鮮の土の性質と、その土壌で農業を営むために必要な肥料の重要性である。

当たり前の話だが、栄養のない土地に作物は出来ない。その栄養……化学肥料をどうやって供給するかこそが、北朝鮮の切実な課題なのだ。私は土地と、そこに暮らす人は非常によく似ていると思う。今の北朝鮮の風景、そこに暮らす人々の姿は、食糧不足の状態にあった終戦直前の日本に似ていた。

肥満児や肥満した大人を見ることはない。痩せている=不健康と短絡して考えることができるかとなると……たしかに美食はできないかもしれないが……少なくとも、今の日本に比べれば質素な暮らしをしているように見えるのだ。短い滞在期間ではあったが、過去3度の訪朝に比べると、今回の北朝鮮側の感触には冷えたものを感じた。

この冷え具合は日本においても同じである。北朝鮮の政府関係者がこう呟いていた。「今の朝日関係は最悪の時期を迎えています」と。今ほど近くて遠い国がさらに遠くなっている時期はない。しかし、このままの関係が5年、10年と続くものではない。

日本と北朝鮮は隣近所である。互いにどこかに引っ越すことなどできない。そこは米朝関係と大きく異なるところなのだ。我らも彼らも互いを知らないならば「環境」を手がかりに

戦後、日本の1億2000万人の目がこれほど北朝鮮に向いている時期はない。だが、私たちは互いのことをあまりに知らない。日本と北朝鮮の間には情報の行き来が少なすぎるのだ。

北朝鮮に関連する報道の量は多いが、その多くは現地に入っていない記者が書いた憶測だ。逆もまた真なりで、北朝鮮に碁らす人々に、日本人が考えていることはほとんど伝わっていない。

報道関係者や観光客に門戸を開放していない彼らの政策を責めることはやさしいのだが。私は環境という手がかりから北朝鮮との関係を考えていきたい。環境問題は国境を越えて発生する。自然環境の保全と食糧増産のバランスの取れた開発は、人類共通の課題である。

21世紀は環境と食糧安全保障の時代とさえ言われる。環境の保全を通して、平和の構築を実現したい、と強く思っての訪朝である。今回、私はIUCN副会長・北東アジア地域理事として北朝鮮を訪れたことで、実務レベルで北朝鮮の農業問題を現地で見ることができた。互いに国を背中に背負うと、できる話もできなくなる。

特に日本は(北朝鮮に限らず)政治に問題がある国は経済もメディアもすべて問題がある……と短絡的に考え、すべての接点を絶ちがちだが、そこは是々非々ではないだろうか。

アメリカも韓国も、北朝鮮との政治が緊張状態となったときでも、他の分野では全く違う多様な動きが起きていたりする。アメリカは昨年9月に30万トン、そして今年の3月には10万トンの小麦の援助と、ジャガイモの種芋の供与を発表し、韓国は5万トンの肥料の援助を決めた。韓国からはすでに4万2000人を超える観光客が北朝鮮の金剛山を訪れている。

日本が“窮鼠猫を噛む”といった類の極論だけで北朝鮮を語っている間に、北朝鮮と他の国は現実的な関係を築きつつある。北京から平壌に向かう飛行機の中ではドイツ語やフランス語を耳にした。さまざまな国際機関の関係者として北朝鮮に接点を持つ人々が実際に現地を訪れているのだ。

北朝鮮との関係がこのままでは、日本だけが未来のアジア経済の中から取り残されていくかもしれない。

環境問題を考えるときに、生物多様性(BiologicalDiversity)という言葉がある。人類だけでなく動植物、微生物まで含めたさまざまな存在とそれらの関係があるからこそ、地球環境が維持されているという意味なのだが、この多様性という視点は人と人、国と国との付き合いでも考えていいのではないだろうか。

政治以外にも、文化、経済、そしてここに書いたように農業や環境といった接点もあるのだ。日本はもっとビジネスライクに、かつ長期的に北朝鮮の人々と生産的な話をする発想……社会多様性とでも言えるだろう……を模索する時期を迎えている。

●どうもと・あきこ1932年、東京都生まれ。55年、東京女子大学文学部卒。TBSディレクター時代の80年に「ベビーホテル」キャンペーンで日本新聞協会賞受賞。89年参議院比例区当選。93年地球環境国際議員連盟日本総裁、94年に世界自然保護連合選任埋事に就任(97年同副会長就任)。