環境自治体
GLOBE-JAPAN メンバーは語る
1999年10月
堂本暁子氏(参議院議員)


PROFILE(どうもとあきこ)

1932年アメリカのカリフォルニア州で生まれ、東京で育つ。東京女子大学文学部卒業後、TBSに入社。報道番組やニユース番組の制作に携わる。89年参議院議員に初当選、92年に「地球サミット」に参加。93年にはGLOBE-JAPAN総裁に就任。97年、UNEP(国連環境計画)の「環境に貢献した25人の女性リーダー」に選ばれる。

現在、無所属(参議院の会)。温暖化で失われつつある生物の保全こそ急務今、世界的に貴重な生物の生存が脅かされている。その最大の原因は、乱開発と気候変動といわれる。生物多様性の保全に、GLOBEとIUCNの2つの国際団体で積極的にアプロ-チしてきた堂本暁子・参議院議員に登場してもらった。

市民の発想を生かす視点が大事

……堂本さんといえば、生物多様性条約と一番関わりが深いですね。

■堂本

ええ。リオデジャネイロで開かれた「地球サミット」に私も参加し、そこで生物多様性条約、アジェンダ21の制定を図ったんです。

環境問題というのは、「ブラウン」と「グリーン」の2つの視点を共に生かすことが大事だと思います。「ブラウン」は、いわゆる公害防止への取り組み。日本は、かつて悲惨な4大公害を経験して、70年の公害国会で法整備を行い、技術開発をいかに進めるかが重要であるかを認識するわけです。

「グリーン」は、緑の保全を通して、多様な生態系を守るという視点。こちらは、残念ながら日本の取り組みが非常に遅れている分野です。

豊かな自然に恵まれているのに、日本人はこの緑が半永久的にあるものと思い込んでいる。世界の中でも、日本のブナ林は類を見ない風格があるのに、そこに生きる哺乳類は、いま3種に1種が絶滅の危機に追い込まれている。

鳥類は5種に1種が絶滅の危機に瀕しています。日本政府は生物多様性条約に署名したあと、わが国の取り組みを“生物多様性国家戦略”にまとめたわけですが、私は「この戦略を官の論理だけでまとめてはダメ。

公聴会を積極的に開いて、市民団体からの意見を一つひとつ吸い上げなさい」と環境庁に働きかけました。議員を集め、市民から意見を聞く勉強会も何度となく開いたんです。

……自然との共生の考え方が重要だと、常々主張されていますが。

■堂本

日本の文化は森から生まれたと思うんです。田んぼをはじめとした目本の農村の構成要素も、生態系の循環という考え方に成り立っていますし…。ところが、日本はどんどんそうした豊かな自然を壊し、コンクリートで固めてしまった。生物多様性条約に対応して日本政府が作った種の保存法にしても、残念ながらザル法に近いものです。

公共事業となれば、何でも許されるとなってしまう。私は、経済活動を否定しているのではないんです。自然を生かしながらの開発の仕方があると説いているんです。今、地方分権の時代といわれていますが、結局、できるのはダムや道路ばかり。

そこには自然と共存するという視点が欠落しています。宝物のような自然を大事にするとの考えを市民がもっと抱くように啓蒙するのも必要ですが、自治体の首長だけでなく、私たち政治家の責任が大きいことを痛感しています。温暖化の解決には発想の転換を

……地球温暖化問題では、COP3でGLOBEを通じて日本の削減率決定に大きな力を発揮したと聞いています。

■堂本

日本の当初の温室効果ガス削減目標はひどかったですからね。6%へ引き上げさせるのに、さまざまなロビー活動を展開しました。京都会議といえば、余談があるんですよ。私と立教大学教授の岩槻邦男さんの2人の編著で出した、『温暖化で追われる生き物たち』という本を、京都会議の会場へ持っていって売ったんです。そしたら3冊しか売れなかった。

この本は、温暖化で地球上の植物や動物たちがどう影響を受けるかを詳しくまとめたものです。温暖化問題に関心のある人が集まっている会場で3冊しか売れなかったことはショックでしたけど、一般の書店では幸い好評で、3版を重ねました。

市民のレベルの方が意識が高いのかもしれませんね(笑い)。この広い宇宙の中で、水のある星はどうやら地球だけといわれています。その水がある貴重な星に40億年も前に初めて有機物が生まれ、生物が誕生した。

それから長い長い年月をかけて何万、いや何億という生物がこの地球上に生息したのに、わずか30年の間に、私たち人類は次々と地球に穴ボコをあけ、生態系を破壊してしまった。

恐竜は、50tを超える巨大な生き物ながら、ワニぐらいの頭脳しか持たなかったために、化学物質も一切作ることなく、1億年も地球上に生息したと伝えられています。それに比べ、人間は自然に対し信じられない悪い行為をしている。反省すべきだと思います。

……生物多様性の保全のために、いま何をすべきだと…。

■堂本

20世紀はタテ割り構造の時代だった思うんですが、21世紀の環境問題はそれでは通用しなくなっているのではないでしょうか。ワシントン条約もラムサール条約も生物多様性条約も、タテ割りの運用では何の役にも立たない。温暖化の異変に立ち向かうには、これらの条約を個々に用いても、網の目から落ちてしまうだけです。

ごみの問題でも、温暖化の問題でも、全体を広く見る視点が大切です。そのためには、今までの発想を変える必要があるのではないでしょうか。

GLOBEとIUCN

アメリカのアル・ゴア上院議員が長らくGLOBEインターナショナルの総裁を務めていたが、同氏の副大統領就任とともに、小杉隆・衆議院議員が総裁につくことになった。

その結果、GLOBE-JAPAN総裁の地位に広中和歌子氏(公明党)が就任した。その後、93年7月の連立政権発足とともに広中氏の環境庁長官就任か決定。後任としてGLOBE-JAPANの総裁に堂本氏がつくことになった。

以来、COP3(温暖化防止京都会議)で先進国の温暖化ガス削減率策定を働きかけたり、97年6月の「環境と開発に関する国連特別総会」(ニユーヨーク)に参加したりするなど、積極的な活動を展開している。堂本氏の国際的な活動では、lUCN(世界自然保護連合)も無視できない。

堂本氏は、94年に選任理事となり、日本政府が95年に74番目の国家会員となるのに尽力した。97年にはIUCNの会長にエクアドルのヨランダ・カカバツェ女史か就任したのに含わせ、堂本氏も副会長に就任。女性パワーで自然保護の総本山を動かしている。

私が推進した環境政策

「98年に参議院の労働・社会政策委員会委員として、特定非営利活動促進法(NPO法)の審議に携わったことが、印象に残っています。非営利団体に関しては、日本は不幸な歴史を持っている。

古くは足尾銅山の鉱毒事件や水俣病事件など、市民と政府が対立する時代が続いたわけです。つまり、市民団体と政府がぶつかり合うという形が長かった。しかし、環境問題の解決には、市民が参加する行政づくりが欠かせない。でないと、政策はずっと体制側のものでしかなくなってしまう。

そこで、本当の市民を代表した団体に法人格を与えるべきだと考えたんです。まる3年間、抵抗する行政とわたり合い、苦労しました。

しかし、結果として市民と一緒に議員立法の形で法律ができて良かったと思っています。北海道から沖縄まで、さまざまな市民の人たちと交流も重ねられましたし……。この法案の成立を通して、環境政策の主役は市民であることをアピールできたと思います」