みちみだい

私の見たベビーホテル
(昭和56年3月24・25・26日の毎日新聞から)

1982年1月
堂本暁子(TBSテレビ報道局取材記者)


眉間にシワ寄せる子どもたち

ベビーホテルには、なぜか、おもちゃが少ない。すべり台やブランコといった巨大玩具だけのところもある。そして、赤ちゃんたちは、おしなべて、大人のように眉間にシワを寄せている。

寂しさを訴える術を知らない彼らは、眉間のシワに不安や孤独をにじませながら、ひたすら親の迎えを待つのだ。  あるベビーホテルの保母さんはこういった。

「ここの子どもたちは、おもちゃで遊ぶことを知りません。車のおもちゃやお人形を、手当たり次第にこわして、窓から投げ捨ててしまいます。絵本も読まないで、細かく破いてしまいました。極度の欲求不満からでしょう」  23歳の主婦から寄せられた「娘が公立の保育園にはいれませんでした。  

最近、ベビーホテルがブームだそうなので“テレポートTBS6”でレポートしてください」という投書をきっかけに、この問題の取材をはじめてちょうど1年。私は、生活に疲れた大人のように眉間にシワを寄せている子どもたちを、いったい何人見てきたことだろうか。

まきちゃんは2歳半。1年前から東京豊島区のベビーホテルに預けられている。お母さんがキャバレーの仕事に出かける夕方から、店が終わって迎えにくる深夜までだ。ベビーホテルでのまきちゃんは、部屋の中央にあるピアノのところから動かない。口もきかなければ、遊びもしない。いつもお母さんが持ってくる、着替えの入った大きな袋をにぎりしめて座っている。

午後8時を過ぎると、他の子どもたちはパジャマに着替えて床に入るが、まきちゃんは決して寝ない。1人だけ、ピアノにもたれて12時過ぎまで、お母さんを待つ。ベビーホテル・キャンペーンの第1回「母を待つ子どもたち」に、このまきちゃんが登場したあとの反響は大きかった。

「私の子どもも3歳。個人保育に預けていますが、やはり寂しい気持ちでいるのではないかと、思わず考えさせられました」と、経理の仕事をしている32歳のお母さん。 「泣いたよ。ピアノのところの女の子に」と、べらんめえ口調の職人さんは、涙声で電話をかけてきた。この日、夜の九時過ぎまでにかかってきた電話は、ざっと70本。

まきちゃんが、その小さなからだで訴えようとしていた「何か」が、映像を通じて伝わったのだろうか。

ある日、私は、まきちゃんのお母さんに会った。28歳。夫は不動産会社に勤めるサラリーマンで、2人は同じ山形県の出身だという。

「お金のためだと、割り切って働いています。小さなうちなら母親が水商売をしても記憶に残らないでしょうから、娘は6カ月の時から預けました。幼稚園に入ったら、仕事をやめて家にいるつもりです。

今はフロがないので、将来、フロのあるアパートに引っ越したいし、子どものために貯金もしています」  まきちゃんのお母さんばかりでなく、ベビーホテルで会った何人ものお母さんが、お金をためることが子どもの幸福につながると考えていた。経済中心の価値観と母性の弱さ。やりきれないような気持ちをいだかされたものだった。

半年後に同じベビーホテルを訪ねると、まきちゃんは、もうピアノのところにいなかった。子どもたちの輪の中で元気に遊んでいる。

まきちゃんの明るい笑顔を私が見たのは初めてだった。保母さんの話によると、お父さんがテレビで、お母さんを待つ娘の姿を見て驚き、以来、8時でも、9時でも、仕事の帰りに迎えにくるようになったのだという。

それから次第にまきちゃんは変わっていったらしい。言葉も出るようになったし、夜は床の中でぐっすり寝るようにもなった。 今年に入って、まきちゃんは、もうベビーホテルにはこない。

最近、両親と手をつないで楽しそうに歩いている彼女の姿を保母さんが見かけたそうだ。東大医学部小児科の小林登教授によると、母性は子どもとの接触の中で育っていくという。

だとすると、ベビーホテルに簡単に子どもを預けた場合、母親の「母性」もまた、育ちにくいことになる。まきちゃん親子のケースでは、テレビの画面がきっかけとなって元気になったまきちゃんの明るさ、あどけなさが、逆に両親を変えていったといえるかもしれない。 

夜の仮眠たった2時間 過酷な条件下で働く保母さん

法的規制のないベビーホテルでは、場所、料金、保母の数から食事の内容まで、すべて経営者の腹一つで決まる。経営者の資格も問われないから、これまで保育には無縁だったキャバレー業者、不動産業者、タクシー運転手やラーメン屋さんたちも園長先生に変身している。

以前は水商売をしていたという園長さんは「お母さんへの応対と電話の受け答えが上手な保母を優先して採用する」といって胸を張った。まず商売、子どもの扱いの上手下手は二の次という感じだった。

こうしたベビーホテルに勤める保母さんたちの労働条件は過酷そのものといっていい。子どもの世話以外に掃除、洗たく、買い物、調理から後片付けまでしなけれぱならない。保育料の計算事務までやらされる。

私は豊島区のある保育園に泊まってみた。16畳ほどの部屋に零歳児から小学生までの子どもが46人。文字通り足の踏み場もないありさまだ。場所が狭いので、2人の保母さんが、2度に分けて子どもたちに食事をさせる。パジャマを着せ、日によってはおフロにも入れるから、戦争のようなさわぎだ。

10人ほどの赤ちゃんたちに離乳食とミルクをあげる番が回ってきたのは夜の8時過ぎだった。1歳になるなおちゃんが、全速力ではいはいして保母さんに近づき、ひざ頭にしがみついた。疲れ切っているのだろうに、そんな、なおちゃんに笑いかける保母さん。

生後2カ月半でこのベビーホテルに頂けられて以来、なおちゃんは10カ月もの間、一度も家に掃っていないのだ

時々、様子を見にくる母親に「お母さんが自分で育てないと、なおちゃんはだれがお母さんなのか、わからなくなりますよ。早く連れて帰ってあげて下さい」と経営者にかくれて忠告する保母さんに、お母さんは寂しくうなづくだけ。

彼女がどんな生活をしているのか想像もつかないと保母さんはいった。その夜、私は、なおちゃんの隣に寝た。4畳半に赤ちゃんばかり10人も寝ているのだから、うっかり寝返りもうてない。

午前3時、保母さんたちは、2時間ほど仮眠しただけで、朝食の用意を始めた。5時には子どもたちに食事をさせないと、7時に出発する送迎バスに間に合わないからだ。

ベビーホテルは、保育園はもちろんのこと乳児院、養護施設、学童保育、一時預かり、病児保育から育児相談まで、実に多くの機能を果たしている。そのことが、かえって、預けられた子どもたちにとって不幸ともなる。特に長期滞在児の間題は大きい。

5歳になるたかとし君のお母さんは、日曜日には必ず迎えに来ていたのに、3カ月ぐらい前からぱったりこなくなった。最近、たかとし君は、他のお母さんが迎えにきても戸口まで出ていく。お母さんを待つ気持ちがつのっているのだろう。

「たかとし君のお母さん死んじやったんだよ」とその言葉の重みもわからずに、他の子どもがからかった時、たかとし君は外へ出て大声で泣いていた。

たかとし君だけではない。1年、2年とべビーホテルに放置されている子どもたちは、他の子たちが母親や父親と帰ったあと、常に取り残される。

「どんなに愛情に飢えているか、見ていてよくわかります。でも、あまりに忙しくて何もやってあげられません」  そういいながらも、母親にかわって真剣にしかり懸命に子どもたちを育てる保母さんたち。だが、そんな保母さんの1人は、自分のやれることに限界を感じ、ベビーホテルのあり方に疑問を抱いたといって、最近、職場を去った。

なおちゃんのことを思うと、後ろ髪を引かれる思いだったという。  信じられないかもしれないけど、現在、乳児院も養護施設も定員を割っている。昨年の公立乳児院の充足率は、わずかに56%。公的施設がこんなにあいているのに、たかとし君やなおちゃんは、なぜ、ベビーホテルにいるのだろうか。

日本の場合、親が児童相談所なり、福祉事務所へ相談に出かけない限り、ほとんどの場合措置されず、イギリスのようにソーシャルワーカーが、社会のなかから問題があると思われる子どもを救い上げるような努力をしていないことが理由の一つ。

たとえ、相談しても、たらい回しにされるなどして、お母さんがいや気がさしてしまうためもある。

TBSが実施したベビーホテル利用者調査でも50%の人が、公的施設を時間の都合であきらめたり、入れる気がないと答えており、最初から行政を敬遠する姿勢をみせている。

「民生委員に相談しましたが、電話もフロもあるのはぜいたくだといって、保育園に入れてくれませんでした」といって、公立をあきらめ、ベビーホテルに子どもを預けた母子家庭のお母さんもいた。

わずか1年前の話である。「私が水商売をしているというだけで受け付けてもらえません。2人の子どもを連れて離婚した女が、食べていけるだけの職を今の日本で簡単に得られると思っているんでしょうか。生活保護を受けるか、母子寮に入れといいます。でも、私なりのプライドもあります。自由に生きる権利もあると思います。

今では堂々と水商売をする気持ちになりました」と語りながら、子どもを運れていった母親もいた。

福祉の窓口の事務を簡素化し、児童相談員、福祉司など行政担当者が、相手の立場で考えられる柔軟な対応をしない限り、いくら施設をふやしたところで、ベビーホテル生活を送る子どもは後を絶たないのではないだろうか。

保育大企業登場の米国 公的施設を充実し、二の舞防止を

「お母さんたちはベビーホテルを、金さえ出せば子どもが育つ自動販売機だとでも思っているんですかね。うちは英才教育を売りものにしていますが、子どもを預かってしまえぱ、もう何もしませんよ」と、以前はバーテンをしていたというある経営者は、いってのけた。

営利を目的としたベビーホテルの本質を物語る言葉である。  このところ、ベビーホテルばかりでなく、病院、老人ホームなど、人間そのものがあこぎな商売の対象にされる事件が相次いでいる。ベビーホテルでの死亡事故も多発している。犠牲になるのは、常に、子ども、老人、病人といった弱者ばかりだ。

特にベビーホテルの場合は、環境が悪いと、赤ちゃんの発達に障害がおこり、精神的、肉体的影響が将来に残るおそれがあるので恐ろしい。  現在、国会では、ベビーホテル問題が連日のように取り上げられ、議論されている。実はアメリカでも1970年前後に、育児産業をめぐる議論がおき、議会内外で激しい論争が展開された。

当時、アメリカでも、育児産業の劣悪さが間題となり、保育内容の貧しさを告発する調査報告書が数多く出されて、日本のベビーホテルをめぐる現在の論議と酷似した伏態だったという。米国の保育史に詳しい日本社会事業大学講師、庄司洋子さんに、そのころの様子をうかがうと……。

1960年代に、アメリカでは婦人労働者が急激に増えたものの、公的な保育制度がないため、民間の恐るべき保育市場が出現した。ケンタッキー・フライド・チキン社などが保育所の大規模経営に乗り出す一方、こうした保育の商品化を批判した論文「ケンタッキー・フライド・チルドレン」が話題を呼んだ。

世論に押されて1969年、すべての家族が利用できる公的な保育所を構想した総合児童発達法が、下院と上院に提出され、2年間にわたる活発な論議を経て、両院を通過する。

それは、救貧的な発想を捨てて、近代化によって変わってきた家族、そして男女の役割に対応した日常的な保育所をつくり、地域の推進力にすることへの合意だった。

しかし、当時のニクソン大統領は、これに拒否権をもってのぞむ。拒否の理由は、第1に、育児を家族から共同体的発想に展開している点、第2に、膨大な経費を必要とする点、第3に、保育所を拡充することにより、家族機能が弱められ、親の責任が希薄になると判断したからであった。

以来、アメリカでは、営利目的の保育産業が認知された形で公然と登場し、保育の理念からではなく、経営の論理から、子どもたちを対象とした利潤の追求が行われるようになった。その結果、もっとも、もうかる形態としてチェーン店方式、フランチャイズ方式等、画一化された保育の大企業が登場する。

10年たったいま、アメリカの保育事情は、とり返しのつかない状況となり、その実態を掌握することすらできなくなっているという。日本のベビーホテル問題、保育制度の将来を方向づける具体策を検討するさい、こうしたアメリカの保育事情を十分に研究、教訓にすべきだと、庄司さんは警告する。「ケンタッキー・フライド・チキン」の日本上陸は、日本人の味覚をだめにするといわれたことがある。

味覚の方はともかく“ケンタッキー・フライド・チルドレン”の上陸を許してはなるまい。 日本と米国との決定的な違いは、児童福祉法にもとづく保育制度がわが国にはあり、昭和23年以来、働く婦人からの強い要求と相まって保育所が整備されてきたことだ。全国で保育所は20万2千カ所。入園している児童は200万人いる。

従って、時代の要求に応えて、公的な保育所を機能させることは米国よりはるかにやさしい。都市部など長時間保育、乳児保育の要求が高い地域で、公、私立の保育園が対応すれば、大多数のベビーホテル利用者は吸収されよう。必要なのは、保育現場のやる気、そして、時代を先取りする発想と積極性を地方自治体がもつことである。

かつてカギっ子と呼ばれた子どもたちが、すでに親になる世代になっている。親子関係の崩壊が再生産されているともいわれ、コインロッカー事件、家庭や学校での暴力行為など、すべて親子関係のもろさが原因とみられている。

しかも、戦後、地域社会は崩れ、急速な都市化は家庭を孤立させた。先輩役として若い母親に子育てを教え、相談にのった家族や親類、隣人との関係も薄れてきている。

こうした状況のなかで、母と子の健全な関係を回復するには、地域社会での新しい連帯を作り出していくしかないのではないか。そして、その中心に保育所がなる。働く母親の子どもを預かるだけではなく、働いていないお母さんのための育児教室を開き、相談にものる、地域に開かれた保育所。

母親と協力して子どもを積極的に育ててゆく、こうした役割を果たせるのは、やはり、商売ではなく、福祉に徹することのできる公的な保育所以外にあり得ない。

アメリカの前例が示す通り、たとえ良心的な業者がいたとしても、子どもを預かることで商売が成立している以上、保育料金が銀行に振り込まれさえすれぱ、ベビーホテルは、1年でも、2年でも子どもを預かり、結果的には母親の育児放棄を助成する役を果たしてしまうだろう。

21世紀に向けて、親が安心して子どもを産み、育てられる保育制度を確立すべきで、そのための財政的裏づけを惜しんではなるまい。