絵本の思い出 |
1988年 |
堂本暁子 |
ところが、私は生来のんびりしているのが好きで、激しい取材合戦の最中でも、ふと気が付くと、現実離れをしたとでもいうか、ゆっくりした自分のペースに戻っているときがある。「子牛のフェルディナンド」の絵本みたい、と思う。 「子牛のフェルディナンド」はスペインの物語。昔々のある村で、マドリッドの闘牛場を夢見て、子牛たちが、我こそはと角を付き合わせて暴れ回っていた。フェルディナンドは違う。お花が大好きで、来る日も来る日も、大きな木の下で花の香りをかいでいた。 ところがある日、先客がいた。花の蜜を吸っていた蜂である。そこへ座ったから、さあ大変。蜂に刺されたフェルディナンドは飛び上がり、暴れ回る。その時ちょうど、マドリッドから牛を探しに来ていた闘牛士は、この牛は、この村で1番強い牛と、フェルディナンドを連れて帰る。 闘牛場は観客席の女の人たちが髪に飾っている花の香りでいっぱいでした。闘牛士が剣を抜き、赤いマントをはためかせても、フェルディナンドは静かに花の香りをかいでいて、戦おうとしない。村に帰ったフェルディナンドは、お花がたくさん咲く丘で、それからも楽しく毎日を過ごした、という物話。 幾つの頃だろう。5つだったか、6つだったか、アメリカで父が買ってくれたこの英語の絵本が私は好きで、字は読めなくても、一枚一枚の絵をすっかり覚えてしまうほど何度もページを繰った。戦災で、家も学校も焼けた。家具も、本もほとんど失ったが、「子牛のフェルディナンド」は信州の疎開先へも大事に持っていった。 唐松林のなかに咲く、白いすみれ、ラベンダーの大きなすみれ、裏山の桜草や忘れな草の群落を、私は、毎日探して歩いた。春になるとぜんまいや蕨、山うどを採る。子牛のフェルディナンドと違って、私は大変お転婆娘だったから、じっとしていることがなかった。転校届がなく、地元の小学校に入れてもらえなかったのを幸いに、心おきなく野山を駆け回った。 車、高層ビル、パソコン。戦後の急速な高度経済成長のなかで、大人も、子供も、何と自然から遠のいたことだろう。日の当たらないビルの谷間に乱立したべビーホテル。そこから逃れる術を持たない子供たちに出会ったとき、蜂に刺されたフェルディナンドのように、私は無我夢中で走り出していた。告発のキャンペーンを組む。それは時代への挑戦だった。今、初めて絵本を書いている。「南極に挑む、スコットとアムンゼンの物語」である。「子牛のフェルディナンド」には夢があった。今、子供たちが、未知の世界の夢、探検へのあこがれを育む機会があまりに少ない。子供の宝物になるような「絵本」が書きたい。それが私の夢である。 |