森林と教育
1996年
堂本暁子


子どもの頃、よく信州の森で遊んだ。季節によって、森の中には様々な変化が起きる。子どもたちは、一番早くにスミレが咲く木陰や、カブトムシのくる木、ホタルが飛ぶせせらぎの場所を知り尽くしていた。春にはワラビやウドを摘み、秋はアケビや栗を拾った。森の中にいると、あきることのない子供時代だった。

今から40年ほど前のこと、イワナ釣りの名人と言われた猟師さんと、北アルプスの薬師沢を下ったことがある。今は道がついているが、その当時は道がなく、猟師さんは茂った藪の中や森の中、時には沢の中を地下足袋でどんどんあるいてゆく。しかし、驚くほど見事に歩きやすい所を選んで、案内してくれた。

どうしてこんなにも歩きやすいところが選べるのかと聞いてみると、「自然の中に道がみえる、自然に道が見えてくる」と言う。川の中でも藪の中でも、森の中でもちゃんと歩いて行ける。「けもの道」だと教えられた。動物が選んだ道を行くというよりは、自分も動物、生物の一員として、その道が見えるのだと言っていたのだと思う。

その沢でツキノワグマとも出会った。猟師さんは「小熊だから、近くに親グマがいるかもしれない。でもツキノワグマは人間に悪さをしないし、どうってことないんだ」と落ちついて言う。その言葉を聞くと、不思議と恐さを感じなかった。猟師さんにとっては、人もサルもクマもある意味で平等な関係で、人は必要な分だけ山から獲物をもらい、決して山の生き物がいなくなるほど追いつめはしないということなのだろう。

太古から日本列島は森に覆われていた。湿潤な気候に恵まれ、世界でも類を見ないほど、森林が豊かに発達している。かつて日本人は自然の循環をうまく活用し、共生することに長け、身の回りにある変化に富んだ自然を生活文化の基礎としていた。人々の多様な感性と自然には相関関係があると思う。生まれたときから、子どもたちは自然に依存し、自然を活用する営みの中で自然を相手に育ってきたと言ってもよいだろう。森の文化をもった日本人は地球の上の生きとし生けるものに命を見る独自の自然観を養ってきたのである。

しかし、近代工業化社会の中で、高度経済成長には成功したが、いつのまにか古来の自然観を無意識のうちに失ってしまい、人間関係も、人と自然の関係も希薄になってしまった。テレビの映像ではめずらしい野生生物や植物の番組に人気があるが、それは自然を切り取った虚像にすぎず、五感に十分訴えるものではない。動物の毛や鱗の感触も、花の香りも、風や土を感じることもできない。身近な誕生や死に出会うこともなく、おそらく、自分の生命のアイデンティティをつかむこともできないだろう。

最近のテレクラの隆盛や理由のない弱者いじめ、自殺は、自然とのかかわり合いを失い、人間同士の絆が希薄になっている社会が生み出した現実であり、疎外感のなかで、それぞれの人間の声にならない悲鳴が噴出してきたものなのかもしれない。歴史の中で、森林を破壊しつくした文明はすべて滅びの運命をたどってきた。今、世界中で森の破壊が急速に進んでいる。このままでは、レイチェル・カーソンが予言した「沈黙の春」が現実になってしまうだろう。

メダカすら掬うのを恐がる子どもたちがいる。泥や落ち葉を汚いものだと思う子どもたちもいる。豊かな感性に恵まれた子供時代にこそ、森の楽しさと、他の生命との共生ということを知らなけれぱ、森の大切さを実感として知ることができないだろう。森を守ることは人を守ることにもつながるのである。子どもたちを森に親しませ、森で教育すること、森や川について教える環境教育の充実が望まれる。ブラジルの熱帯林に住む先住民は言った、「森は、私たちにとって学校です。病院でもあります。文化です。森は、全てです」と。