「補い合う心の広さ」がバリアフリーの精神
2015年6月25日
堂本暁子


私は、若い時から探検好きで、秘境や極地に憧れを抱いてきました。ヒマラヤの山々や南太平洋の島々には何度か足を運びましたが、南極と北極に行く機会には恵まれませんでした。それが一昨年の夏、カナダの友人から「北極へクルージングに行かないか」と誘われたのです。コースは15世紀にジョン・フランクリンの遭難で有名になった北西航路。グリーンランド西岸からカナダ本土に沿って西に進む20日間の船旅。即刻「もちろん行きたい」と答えました。

しかし、一抹の不安がありました。私は81歳。15年前から膝の変形性関節症を患っています。大丈夫だろうか。そこでカナダの旅行会社に電話で「80代でも北極探検に参加できますか」と聞いたのです。すると相手は、なぜそんなことを聞くのかと云わんばかりに「もちろんOKですよ」と明るい返事です。もう心配せずに出かけました。

8月上旬にシー・アドベンチャー号に乗船して返事の意味を理解しました。私よりずっと年上と思われる老夫婦や一人で参加の女性や車いすに乗った人などが何人もいるのです。去年は92歳で全盲の女性が一人で参加した、と聞き、年齢、性別、障害の有無などで差別をしていないことを知り、感動を覚えました。高齢者にも、障害者にもスタッフが丁寧に対応し、その人なりに北極を楽しませているのです。私の質問は年齢で自らを規制したようなもので、大いに恥じました。

日本では80代、90代の高齢者はとかく弱者扱いされ、北極探検への一人旅など、家族も、旅行会社もなかなか認めようとはしないのではないでしょうか。
北極の自然はダイナミックですが、特に氷山の大きさ、高さに圧倒されました。太陽の当たり方で光と影が刻々と変化し、巨大な宝石のように輝きます。また毎日のように、北極海の島に次々と上陸し、人跡未踏の道無き道を歩きます。岩の間に可憐な花が咲いているのが印象的でした。新しい発見の日々、貴重な経験の連続で、年齢差別から解放された「北極探検」の旅は最高でした。

年齢差別と同時に、男女の差別、障害者への差別が見受けられたのが2011年3月11日に起きた東日本大震災の被災地です。私が六郷中学(仙台市)の避難所を訪れたのは発災の3週間後ですが、広い講堂に間仕切りが一切ありません。女性たちは布団をかぶって着替えをし、水不足で下着も洗えず困り切っていました。男性が運営をしているので女性のニーズへの配慮が殆ど無く、男性の都合と感覚が優先していました。これは日本に限ったことではなく、どこの国でも災害時には女性や障害者、高齢者は困難に直面するといいます。平常時の差別が顕在化し、暴力やセクハラが増えるのも共通しています。自然災害の多い時代です。災害の被害を削減するには、平常時からあらゆる差別のない地域社会を作ることが求められています。

私が千葉県の知事をしていた時に障害をもつ人たちが立ち上がり、差別をなくす県条例をつくリました。障害のある人とない人がお互いの立場を理解し合い、誰もが暮らしやすい地域社会をつくろうというものです。これをブレーメン・プロジェクトと呼びました。年老いたロバと犬、主人に捨てられたネコと、翌日、絞めてスープに煮込まれることになったオンドリが出会い、ブレーメンに向かいます。途中、盗賊に出会うと、ロバは蹴り、犬は噛み付き、ネコは引っ掻き、オンドリは鳴きたて、盗賊退治に成功したというグリム童話。千葉県でもブレーメンの動物たちのように、お互いにもてる力を出し合う福祉を実現しようと「ブレーメンの音楽隊」をシンボルにしました。

私が「女子刑務所のあり方研究委員会」の委員長になって3年たちます。誰もが退所者を排除したり、差別することなく受け入れることのできる、平和で豊かな社会の実現が喫緊の課題です。ロバ、犬、ネコとオンドリのように補い合う心の広さが大事なのだと、このグリム童話は語りかけているように思います。