雄鶏ジローの話

202046日 記


jiro.jpg 2月のある日、友人に「おいしい店があるから」と誘われて、長野県佐久市にあるフランス料理のレストラン「さんざ」にランチを食べに行った。

 

 「隠れ家レストラン」、「一軒家レストラン」といわれるだけあって、「さんざ」は丘の上にぽつんと建つ木造の店で、正面に浅間山が見え、景色は最高である。

 

 麦畑につながる庭は「春になると花が咲いて、きれいなのですが」と店の主人は言うが、今は、冬枯れで茶一色、どこまでが庭なのかはわからない。よく見ると、枯れ草のなかでミミズなどの虫を探しているのだろうか、放し飼いの鶏が45羽、そこここと土を啄んでいた。

 

 地元の材料を使っての料理は、イワナのマリネー、鹿肉の煮込みなどのジビエ料理など、どの料理も美味しいのだが、特に評判がいいのが庭の鶏たちが産む卵でつくったデザートのプディングで、絶妙な味である。

 

 

 客が来ても、逃げるでもなく、悠然としていた鶏たちだが、食事が始まると、白い雄鶏と茶色の雌鳥がガラス戸の外にやってきた。雄鶏の名はジロー、近所の養鶏農家が「雄はいらん、スープに使ってくれ」といって持ってきたのだそうだ。雌鳥のメイも卵を毎日産まなくなったからスープに、ともらったのだが、2羽ともスープにはならず、今も庭を闊歩している。

 

 私たちがジローとメイの運命を話題にしていると、2羽は中をのぞき込み、首をかしげ、まるで「今日の客は何者かな、何を話しているのかな」と品定めならぬ、人定めをしているかのように飽くことなく食事をしている私たちを見ている。

 

 私はジローが気に入った。人間なら「次郎」はいたって平凡な名前だが、雄鶏の名前となると妙に風格がある。その名前に恥じず、ジローはかっこいい。真っ白な羽の体に、黒い羽の尻尾、そして何と言っても真っ赤なトサカが立派である。しかも足が長く、真っ直ぐに立って「コケコッコー」と鬨の声をあげる姿は雄々しい。

 

 戦前の話だが、縁日になるとかき氷や焼き鳥、綿菓子などの屋台と並んで道にゴザを敷いて金魚すくいや段ボール箱に入ったヒヨコを売っていた。要は卵を産まない雄のヒヨコたちだ。まだ小学校の23年の頃だが、可愛いので、欲しくなり、母にねだって何回も買ってもらったものだが、どんなに手をかけ、気を配ってもヒヨコたちは、数日で死んでしまった。ところが1羽だけ死なずに育ったのである。大きなトサカのある立派な雄鶏に育ち、餌がほしいと私のスカートをつついたりする。犬のようになつき、家の中で飼っていた。ある日、家族で旅に出ることになり、やむを得ず、この鶏を親しくしていた近所の人に預けたのである。ところが帰宅して、鶏を受け取りに行くと「逃げてしまいましたよ」という。実際は、食物のない戦時中のこと、鶏は食べられてしまったのだった。心が痛んだ。その痛みは何年たっても消えることがない。80代になった今も忘れられないのである。だから「ジロー」を見ても思い出す。

 

 食事の後、庭に出てみると、「ジロー」は、雄鶏らしく悠然と歩きながら、雌鳥たちを守っている。スープにも使われず、平和な時代に生きている「ジロー」は、幸せものである。「また来るからね、ジロー」といって、私は店を後にした。