小諸から世界へ、東奔西走の夏でした |
1999年10月5日 |
皆さま 堂本暁子です。 小諸から世界へ、東奔西走の夏でした 縁あって2年ほど前に、懐古園の隣に家を借りました。昔と変わらない街の風情と、しっとりとした住む人の心配りを無性に嬉しく感じています。その小諸からドイツ、続いてヨルダン、席の温まる暇もなく韓国、そしてベルギー、スウェーデンと世界に出かけて行きました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ IUCN北東アジア地域会合(ソウル)を開催 私はこの地域から選出された理事として、ヨルダンで2000年秋に開催される「世界自然保護会議」に北東アジアとしてどのような形で参加するか、各国で検討していこう、と挨拶。さらに「アジアは、IUCNの区分では北東アジアと東南・南アジアとに分けられていますが、私たちは、自然も文化も共有しています。そこで今回はフィリピンの理事とバンコクの地域事務所から参加していただきました。今後もアジアの連携を強化していきましょう」と述べました。北東アジアの難しさは共通言語を持たないことですが、今後はニュースレターを中国語、モンゴル語、韓国語、日本語で発信し、情報を共有することになりました。 私たちが訪ねた江華島地域へは、古くはモンゴルが攻め込み、次にフランスが占領、さらに米国の占領の後、最後にやってきたのが日本、と聞いて、驚きを禁じ得ませんでした。米国が占領したのはわずか10日間。その後にやってきた日本とは平和協定を結んだにもかかわらず、最も長い間支配を受けることになった、とガイドの若いお嬢さんが説明するのを聞いて、21世紀は信頼と友情を深め、「良き隣国の時代」にしたいと強く思いました。 道中、大きく漢字で「気」とある建物があったので、隣に座っていた韓国人に聞いたところ、「病院です」とのこと。すると私の後ろに座っていた香港人が、左隣の台湾人が、そして私が次々と「気」という漢字を異なる音で発音し、爆笑。「気という字は発音は少しづつ違うけれど、北東アジアの人々が健康について考える言葉として共通なんですね」と私が言うと、一同納得。北東アジアが歴史と文化を共有していることを再認識した瞬間でした。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 要介護認定の開始に思うこと ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ¥(^o^)/ ^_^; 永田町レポートこと始めo(^-^)o (*_*) 永田町日記は、国会で取り組んでいること、もめていること、動き出していること、私の活動や関心を持っていることを発信します。お知恵拝借、ご意見歓迎します。(^^;) いわく、「いよいよ”ハイテク議員”の登場ですね(笑)。 まずは歓迎いたします。通信の世界へようこそ!」 どうも歓迎されているらしいのです。\(^O^)/ パソコンの世界は、もっと無味乾燥なのだと思っていたのですが、血の通ったしかも直接的なメールの往復にびっくり。新しい世界の発見でした。なかでも面白かったのは、「参議院議員 堂本暁子の名前を使っていたずらをしているのは誰だ?」とか、「返事を書くのに堂本さんのことは何と呼んだらいいのでしょうか?」という質問。「堂本さんでも暁子さんでも結構です」と私。もう1つEメールの世界で気にいったのは、私の文章をパソコン向きにリライトし、しかも笑顔(^o^) や怒った顔 (`o´)、悲しい顔 (;o;) をフェイスマークを使いこなす男性秘書の感性でした。若いだけではなく、時代の先端を行く、その表現手段に、すっかり私はのめり込み、約1年数ヶ月、永田町日記を出しつづけました。 その後自社さ連立政権で多忙を極め、約2年間のお休みはありましたが、最近はタイトルを「日記」から「レポート」に改名して、月2度くらいのペースで発信しています。 これからも、議員と市民の意見交換、知人・友人とのおしゃべりの場として、ホームページやEメールをどんどん活用していきたいと思っております。 |