堂本あき子なの花日記 No.102
市川崑さんのこと
2008年2月16日

皆さま 堂本暁子です。

「ビルマの竪琴」や「犬神家の一族」、東京オリンピックを撮影した映画監督の市川崑さんが13日に亡くなりました。私は、心から悲しんでいる人々の一人です。

はじめて市川崑さんに出会ったのは、昭和39年(1964年)6月の新潟国体でした。4ヶ月後に控えた東京オリンピックで、TBSの記者・カメラマンとして取材することが決まっていた私は、新潟国体でカメラの練習をするため派遣されていました。市川監督も東京オリンピックの記録映像を撮ることになっており、同じ目的で新潟国体に来ておられました。

16ミリのカメラを持って、競技場を歩いている私がよほど珍しかったのでしょう。監督から声を掛けられ、その晩は、スタッフとの食事にも呼んでいただきました。

以来、東京オリンピックの間、私が一番出入りしたのは市川監督のスタッフルームでした。ムービーカメラを初めて持った新米の私をとても大事にしてくださり、映画ができあがるまでのプロセスを見ることができました。

それ以後も、15分物の「かごめかごめ」や「トッポジージョ」など、小さな作品を一緒に作らせて頂く機会を持ちました。市川さんのおかげで、映像づくりの面白さ・難しさを知ることができました。

私にとって、かけがえのない師匠であり、僭越ですが、楽しい友達でもありました。

訃報に接し、心にぽかっと穴が空いたような気持ちでおります。