堂本あき子なの花日記 No.173
極地への思い
2013年5月1日

みなさま、こんにちは。堂本暁子です。

若いとき、私は南極に行きたいと本気で思っていました。1965年(昭和40年)、新しく建造された砕氷船「ふじ」が南極に行くときに、同乗取材をしたいと申し出ました(当時、私はTBSテレビの記者でした)。

文部省や防衛庁からは、なんとかOKが出たのですが、肝心かなめのTBS報道局長が「男しか乗っていない船に乗せるわけにはいかない」と、出張させてくれませんでした。

それでも極地への思いは捨てきれず、私が最初に書いた本は『南極にいどむーーアムンセンとスコットの物語』という絵本でした。

南極行きは実現しませんでしたが、当時の隊員の人達は、何十年たっても集まりに呼んでくれます。28日(日)には、同行した朝日新聞の記者、高木氏の自宅で、「筍会」がありました。

お庭の真ん中で豚汁を煮て、和気あいあい、極地の話に花が咲きます。70、80になっても、南極隊の人達は20代・30代あるいは40代の若さを保っていると思ったことでした。

私は南極に行きそびれたので、今年の夏は。北極を旅したいと思っています。

筍会にて。左から高木氏、村越氏、吉田氏、堂本

筍会にて。大久保ドクターと