堂本あき子なの花日記 No.232
オリンピックの思い出……ロスから東京へ。そして東京。
2021年8月1日

みなさま
こんにちは。堂本暁子です。

いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
私は西千葉の自宅に籠もって、夏を乗り切ろうとしています。

オリンピックで盛り上がっていますが、私はオリンピックに何かと縁があります。

そもそも、生まれたのが1932年のロサンゼルス・オリンピックの年。7月30日が開会式で、その翌日の31日に生まれました。
場所は、父の仕事の都合で住んでいたアメリカ、カリフォルニア州・オークランドでした。

父は私が生まれると、オリンピックを見にロスへ行ってしまったそうです。母はいつまでも笑いながらその話をしていました。

1964(昭和39)年の東京オリンピックは、TBSの記者兼カメラマンとして担当。女子選手村要員でした。とはいうものの、面白い話題や出来事があれば、どこへでも飛んで行く神出鬼没な記者でした。

なかでも足繁く通ったのが、記録映画を撮っておられた市川崑監督の所でした。親しくしていただき、多くを学びました。

今年のオリンピックは、もっぱらテレビ観戦です。半世紀以上前のことですが、水泳の田中聡子さんたちと親しく付き合った1964年オリンピック当時のことなど、懐かしく思い出しています。


 

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