堂本暁子の永田町レポート
さきがけの4年、そして新たな出発
1998年9月2日

皆さま 堂本暁子です。

1994年の暮れに新党さきがけに参加してから丸4年、私は連立政権の一員として無我夢中で仕事をしてきました。それは、連立が21世紀に向けて価値が多様化するなかで、国際的にも通用する政治に転換するプロセスだと信じてのことです。利益誘導型の自民党の単独政権から、有権者に直結する、真に民主的な政治への脱皮への挑戦でもありました。

3年がかりで成立にこぎつけたNPO法は、市民が独自の創造的な市民活動を実現するための社会基盤をつくるもので、官主導から市民主体のあり方へと、民法に一つの穴を開ける努力でした。NPO法が「蟻の一穴」の役を果たすことを願っています。行財政改革、医療制度改革、男女共同参画社会基本法に向けての立案など、いずれも曲がり角の日本の制度を変革する試みで、やりがいを感じながら、全力投球で走り続けた4年間でもありました。この間、皆さまに支えていただいたことを心より感謝しております。

しかし、皆さまにご支援いただいたにもかかわらず、参議院選挙で新党さきがけは議席を増やすことができませんでした。それどころか、さきがけは「自民党の生命維持装置役」だとの批判の声もあり、自らの信念や連立の意義が充分に有権者に伝わっていなかったことに気付かされ、またそれを目に見える形で広く伝える努力が足りなかったことを反省させられた次第です。さきがけが掲げた信念も政策も正しかったと信じております。にもかかわらず、私たちが望んだ改革は必ずしも実現しませんでした。であれば、ここは党を発展的に解散し、時代が求める新しい政治に向けて再構築、再出発すべきなのではないか、というのが参議院選挙以後の私たちの考えでした。しかし、一方で解散できない地方の事情もあり、話し合いを重ね熟慮した結果、今日の決定となりました。

私は、これからも激動期にある日本の政治のなかで、今まで以上に市民の立場に徹し、環境の視点、国際的視野から政治に取り組んでゆくつもりでおります。

GLOBE(地球環境国際議員連盟)の総会に出席するため渡米しておりましたが、国の外に出るとひとしお日本の置かれている現状に危機感を抱かざるを得ません。景気や金融の問題は深刻です。子どもや女性、高齢者や障害者、さらに医療や年金制度の問題など、やりかけの仕事、切羽つまった政治課題が山積しています。そのためにも、残された3年間の任期を大事にしたい、との思いを強くしています。

現在の心境を可能な限り早くお伝えしたく、『永田町日記』をお届け致します。これからもご支援下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。