堂本暁子の永田町レポート
最近テレビに出ないわたし
1998年9月24日

皆さま 堂本暁子です。

テレビに出なくなった私。充実度は変わりません
「最近はテレビで堂本さんを見ませんが、お元気ですか?」「これからどうするのですか?」と聞かれることが多くなりました。

今国会は総務委員会所属です
照準は何と言っても情報公開法。現在、特殊法人を対象に加える、訴訟の管轄に「地方管轄」を加える、行政文書の管理法をつくるなど12個所の修正をオール野党から自民党に要求しています。すべて自社さ三党時代に社さから要求したことばかりです。選挙後、参議院で野党が多数を占めるようになって自民党の対応も随分と変わり、どのような結果がでるか楽しみです。もう1つは男女共同参画社会基本法(仮称)。
17日の委員会では、私は「男女共同参画社会の実現が、経済不安の今だからこそ緊急の課題である」という趣旨で質問しました。その答弁として、野中広務官房長官から「堂本委員の意見に賛同するので、総理府の男女共同参画室を局に格上げしたい」という画期的な一言を引き出したのが最大の成果です。

8月には、アメリカの油汚染対策を視察してきました
サンフランシスコを中心に油汚染の犠牲となった野生生物の救助、渡り鳥などの生息地である湿地の回復が、国から地方自治体に至るまで連携して行われていました。カルフォルニア大学のデービス校には野生生物専門の学科があり、広いキャンパスに研究用の野生動物が飼われ、野生生物の保全や救援についての専門家が養成されています。こうした行政や人材養成は市民運動の成果なのです。日本企業が埋め立てを計画した干潟を守る裁判を20年間闘ったフローレンスさん。彼女が始めたNGOの本部は、政府の野生生物救援本部になっていました。湿地を守りたいという市民の強い意志が地域や大学を動かし、国をも動かす起爆力になったのです。眼下に広がる湿地を指さしながら彼女は「ここまで回復するのに20年かかりました。」と美しく老いた顔面いっぱいに笑みを浮かべながら説明してくれました。

9月11日に最後のさきがけ塾
新党さきがけが誕生して以来のさきがけ塾が幕を閉じました。政治について学ぶ場が少ない。さきがけの政策を学びたい。様々な動機から集まった若者、女性、そしてサラリーマンや退職後の方まで、様々な人がさきがけ塾に集まり、熱気のある活動を展開してきました。錦織淳塾長が塾生に最後に語りかけた言葉は「捨身成道」。身を捨ててこそ政治目的を達することができるとの意味です。さきがけ塾に来れば会えた顔顔。今夜限りさきがけ塾という場では会えなくなると思うと一抹の寂しさがあります。私にとって支えでもあり、応援団でもあった一人一人に、さきがけの理念を大事にしながら、時代の要求に応えていきたいとの思いと感謝を込めて「未知への挑戦」という言葉を贈りました。