堂本暁子の永田町レポート
第144国会閉幕 10年目の冬の朝に思うこと
1998年12月15日

皆さま 堂本暁子です。

8時過ぎに千鳥ヶ淵を通って国会に到着。真っ青な空を風に乗って街路樹の落ち葉が舞いあがっていました。この美しい冬景色を見るのもこれで10回目になりました。波乱万丈の10年のはずなのですが、無我夢中で走ってきたためか、その年月の長さを感じません。混迷する政治の中で、環境、福祉、医療、外交、女性、NPOなどの分野では自分らしく、全力投球することができたように思います。そのチャンスを与えてくれたのは、同僚の議員や全国の支持者のみなさん、NGOや専門家、そしてスタッフに恵まれたからで、感謝の気持ちでいっぱいです。同時にもっとやることがあったのではないか、どれだけ期待に応えるような仕事ができたのか、と力不足を感じてもいます。

12月10日の予算委員会で、総理ほか全閣僚に対して次のように述べました。「第3次補正予算案では、12兆3千億円の国債の追加発行が盛り込まれました。景気対策なのだから、ということでしょうが、そうであれば行政改革による歳費削減の数値目標や福祉社会の明確な展望を示すべきだと考えます。さもないと財政構造改革法、行政改革、福祉の問題に関わってきた者としては納得がいきません。当然のことですが、誰もが将来の増税を心配しているので、消費の拡大につながらないのではないか、と懸念しています。」

1993年から5年もかけて取り組んできた、沖縄・西表島のイリオモテヤマネコについても、この予算委員会での質問で一応の成果を得ることができしました。ヤマネコの生息地を農地として開拓する事業計画に対し、来年度は予算化しないという農水大臣の答弁を得たのです。すでに58haが開発されたので、少し遅きに失したのではという気もしますが、当面の開発が止まることになり、一安心しています。行政改革で省庁の整理を進めようという状況下で、総理府の男女共同参画室を将来の内閣府の男女共同参画局に格上げするという答弁を総理の口から引き出せたことも嬉しい成果でした。
12月14日、第144国会が閉幕する日です。9時50分から国民福祉委員会、10時20分から沖縄及び北方問題に関する特別委員会、10時30分から共生社会に関する調査会とたてつづけに開かれました。請願を受けるか、受けないかを決める、いわゆる会期末処理のための、わずか3分から5分という短い委員会です。
何百万人分の署名が集まっていても、理事会で全員が賛成しない限り、請願は保留処分として受け入れられません。そのため、政府与党が是としない請願はすべてこの段階で葬られてしまうのです。有権者が国会に直接意志表示ができるのは請願という方法であり、時の政策に不満だからこそ署名を集めて請願するのであって、与党が受け入れないものをすべて受け付けないのは、私としては納得がいきません。国民福祉委員会の委員長に、請願の扱いについて今後検討して欲しいと申し入れました。

続いて開かれた本会議では、世界人権宣言が採択されてから今年は数えて50周年にあたるので、人権擁護の推進に関する決議を採択しました。「本院は、この間、世界人権宣言の精神に基づき…世界における人権擁護が大きく推進されてきたことを、高く評価するものである。我々は世界の平和と繁栄は、すべての人々の人権が尊重されることにより、初めて実現されるものと確信する。本院はここに、世界人権宣言の持つ意義を改めて認識し、すべての人々の人権が尊重される社会の実現に一層努力することを決意する。」
このような立派な決議を採択しましたが、人権に関して日本はあまりに遅れていると言わざるを得ません。庇護を求めてきたアジアからの難民に対し、手続き中ということで1年間も身柄を拘束しているケースがあります。外部との通信は建て前では自由ですが、手紙に「苦しい、今苦悩している」と書いてある箇所は塗りつぶされていたということです。政治的理由で自国を逃れてきた人が、知る人もいない外国で外界との通信もままならない状況下で入国者収容所に留め置かれて、苦しまない、悩まない人がいるでしょうか?話を聞く度に胸が締めつけられる思いです。法務省に善処方を求めたこともありますが、何の効果もありませんでした。
人権侵害は、学校に行かれない子どもへの差別、外国人への差別、数え上げたら切りがありません。満場一致で決議をしましたが、一抹のむなしさを感じないわけにはいきませんでした。

今国会は、無所属議員の集まりである「参議院の会」のメンバーとして活動しました。会派を組んだことで、予算委員会での質問も可能になったのです。来年の通常国会では、日米の防衛協力に関するガイドラインの問題や憲法改正委員会の設置など、鋭く政治的な立場が問われる法律や制度が審議されます。個々人の独自性を維持しながら対応し、乗り越えていけるかどうかが、「参議院の会」としての正念場であると同時に私にとっても厳しい局面に立つことになると今から思っています。