堂本暁子の永田町レポート
近くてますます遠い国 北朝鮮訪問
1999年4月23日

皆さま 堂本暁子です。

3月15日〜20日 4度目の訪朝です
今までで一番ピョンヤンの空気は冷たく硬く、反日感情の強さを感じました。日本の新聞やテレビで「北朝鮮」という字を見ない日はありませんが、相手はソウル発、ニューヨーク発、北京発、さらには日本の「戦争になったら北朝鮮は」という雑誌の特集まで丁寧に読んで、敏感に反応しています。

「政治家はなぜマスコミをコントロールしないのですか」とまず聞かれ、「民主主義の原則は報道の自由です」と私は答えましたが、国の体制が違うので、理解されたかわかりません。

考えてみると1年半前に自社さ三党の訪朝団に記者が同行して以来、日本の報道関係者は北朝鮮に入っていないのですから、憶測記事や不完全な記事が多くなるのは当然です。地理的に近い国なのにお互いに情報が少ないことが、日本と北朝鮮を遠くしているように思いました。

今回の訪朝はIUCNの副会長として、環境を通してのピースメーキング、つまり信頼の醸成と平和の構築が目的でした。

農業専門家と、スタッフの山本美和さんと3人の旅で、まずは土壌の調査を行った上で、プロジェクトを組み立てようとしたのですが、なかなか農村へ私たちを連れていってくれません。「日本人を受け入れてくれるところがなかなか・・」と言われ、私たちはホテルで1日中待機。農業科学院で現状についての説明を聞き、検査用の田圃の土を採取したのはピョンヤン入りして3日目のことでした。ポータブル検査用具を持参した農業専門家の君島さんは午前2時まで作業し、レポートを完了すると相手はびっくり仰天。翌日はさっそく農村へ私たちを案内し、「どうぞ土を取って下さい。調べて下さい」と進める始末。君島さんが信頼されたのです。

帰国する前には「次に訪朝する時も、君島さんを連れてきて下さい」と念を押されました。信頼醸成はこのような一人の人への信頼からスタートするのだとつくづく思いながら帰国の途につきました。

半世紀の間ほとんど交流もなく正確な情報もないためにますます遠くなっていく北朝鮮。このような感想をテレビや新聞を通して広く訴えたいと思ったのですが、帰国した途端に「不審船」の事件が起こり、多くがボツになってしまい、残念です。

長崎の海と、新潟の里山へ 「松島より美しい」健康日本一の鹿町町
「松島より美しい」と長串山公園から海岸線を眺めてつぶやいたのは、お相撲の隆ノ里(現鳴門親方)だそうです。

4月10日〜11日、健康日本一として表彰された長崎県の鹿町町を訪れ、私もつつじのつぼみが膨らむ丘の上に立って、同じ感想を持ちました。入り江に島が点在する景色は、「風光明媚」としか言いようがありませんでした。人口は5千あまり。「健康と福祉の町」にしようと、町長はじめ町をあげて計画中とか。最近温泉が出たこともあって、全国の人たちがうらやむような健康道場づくりが町の夢とのことです。花と海の幸、そして温泉と三拍子そろった鹿町町には未来がいっぱいです。

里山にブナの芽吹きを見る旅
都会に住んでいる私たちは、「芽吹き」という言葉すら忘れているのかもしれません。ヤマザクラはパッと咲きますが、ブナの若芽がやわらかく山のあちこちをもえぎ色に染めると、雪国の人たちは春の訪れを感じるといいます。

4月17日から18日、新潟県の上越地方へ、森の会のメンバーたちと勉強会、自然観察、地元の方との交流の旅を楽しみました。

ブナ林にわけいっていくと紫色のカタクリの花をはじめ、キクザキイチゲ、トキワイカリソウ、ニリンソウ、ナガハシスミレといった可憐な花が咲いているし、ゼンマイやコゴミ、フキノトウなどの山菜が芽吹いているし、ユキツバキの小さな花や、キタコブシなども花をつけています。春の息吹がいっぱいの里山を堪能しました。

目を里に向けると、斜面にそって棚田が続き、山奥のしかもコメどころの景色の中で農家の方たちが働いていました。今回ブナ林を見せていただいた吉川町が棚田のオーナーを募集したところ、都会から日に30人の問いあわせがあるとか。仕事がないために若者が都会に流出し、しかも日本の食糧自給率が30%を切っている現実の中で、非常に複雑な気持ちでした。

本当は若者たちが定着できる魅力ある農村にしなければいけないのではないかと、思わずにはいられませんでした。

そうした中で会に参加した1人の若者は、3mの雪が積もる吉川町の川谷集落でコメづくりをするために、4年前から東京から移り住んできました。最近、子供が生まれたそうですが、実にこの村にとって16年ぶりの子供だったそうです。