堂本あき子なの花日記 No.49
60回目の終戦記念日
2005年8月15日

皆さま 堂本暁子です

今日は、60回目の終戦記念日で、千葉県忠霊塔に拝礼しました。

毎年、ご遺族の方は、歳を取られ、去年は元気だったご婦人が今年は杖をついての参加でした。

「どなたを、何処で...?」と声を掛けると「スマトラで、夫を。一緒にいたのは1年1ヶ月だけでした。娘と夫の話をしたことがありません。『お父さん』と言っただけで、2人とも泣いてしまうんです」

60年たってもこの家族の悲しみは癒えていません。白髪の男性は「父を、フィリピンで」と涙ぐみながら答えました。

私は20年ほど前に、フィリピンのレイテ島で遺骨収集団と出会い、日本軍が玉砕した現場を歩きました。、暑い南の国で、どれだけ悲惨な戦いがくり広げられたのだろうか。心痛んだ当時を思い出しました。

遺族会の会長さんの父上は、昭和12年の12月30日に上海で戦死。本人は翌年3月に生まれたので「父の顔は知りません」とのこと。

同じ昭和12年の2月に、80歳の尾崎行雄翁は身命を賭して、戦争に反対する質問演説を帝国議会で行い、「私の望むところは、どうか今日においては武力発展ということを諦めてほしい、いまわが国は経済力発展に全力を尽すべきである」と訴えましたが、この演説から4ヵ月後の7月に、日中戦争が勃発してしまいいます。

戦地で、あるいは沖縄で、更に空襲で命をなくされた多くの方たちに、60年の節目の折りに、私たちは哀悼の意を表すると同時に、平和について考え、とことん話すべき時である、との思いを抱いて忠霊塔を後にしました。