堂本あき子なの花日記 No.146
ヒマラヤのドン・キホーテ
2011年1月17日

皆さま 堂本暁子です。

「明けましておめでとうございます」と言うには少し遅くなってしまいましたが、2011年の最初のお便りです。

今年もよろしくお願いいたします。

1月14日、東京・四ッ谷駅前にある「スクワール麹町」で、私も発起人の1人に名を連ねている、『ヒマラヤのドン・キホーテ(ネパール人になった日本人・宮原巍の挑戦)』という本(根深誠著・中央公論新社刊)の出版祝賀会が開かれました。

宮原巍(みやはら・たかし)さんは登山家で探検家。私も山好きなので古くから山仲間としてお付き合いをしてきました。その宮原さんが、ヒマラヤ山麓の国ネパールに住み着いてはや45年、2005年にはネパール国籍を取得しています。(宮原巍さんのブログ

今から40年以上前に、私がまだ30代前半の頃、宮原さんの案内でエベレスト山麓を歩き、雪を頂いたエベレストを、映画や写真ではなく、目の当たりにして感動し、大きな気持になりました。

その頃、宮原さんは、富士山よりも高い標高3,880メートルのエベレスト山麓に「ホテル・エベレストビュー」を建設していました。今では、美しいヒマラヤを眺められるホテルとして、世界的に有名です。登山家であると同時に多くの人達に山の魅力を紹介する観光業の分野でも、成功を収めたといえます。

ところが、その宮原さんは、王政が崩壊し、混乱しているネパールの国情を見ていられなかったのでしょうか。彼は「ネパール国土開発党」という政党を立ち上げ、残りの人生を、「ネパールの発展と平和」のために捧げる決心をしたのです。近く行われる国会議員の選挙に出馬することになりました。そうした宮原さんを描いて出版したのが、山仲間の根深誠さんです。

昨日、出版祝賀会の席で、私は「これだけダイナミックな生き方をする人が日本には少なくなってしまった。若者たちがこの本を読んで、夢と冒険心と、そして行動力を持ってほしい」と挨拶しました。

お互いに30代だった頃、宮原さんは夢多き若者でしたが、まさかネパールで政治家として志を抱くようになるとは夢にも思っていませんでした。

同時に、私も自分が日本の政治家になるとは、当時これまた夢にも思っていませんでした。

人生とは本当に不思議なものだと、つくづく思わされました。