堂本あき子なの花日記 No.216
7月31日、86歳に。人生はこれからです。
2018年8月12日

みなさまこんにちは。堂本暁子です。

7月31日(火)、86歳になりました。85歳の誕生日は、私が生まれたアメリカ・カリフォルニアで迎えましたが、今年は千葉の友人 のはからいで、東京・六本木の「キーストンクラブ」での音楽バースデーになりました。従兄弟の堂本雅樹も参加している「クワトロ・ コーリス」というバンドによるブラジル音楽でした。
私の挨拶は、好きな曲、懐かしい音楽のメドレーのピアノ伴奏にのせて話しました。トップは「想い出のサンフランシスコ」。生まれ故郷 の歌です。去年、久々に訪れましたが、歌詞にYour golden sun will shine for meとあるように、心晴れ、胸踊りました。

学生時代の歌は、楽しんでいた山登りにちなみ、「エーデルワイス」。大好きな歌です。

TBSの記者だった30年間の曲は、ピンキーとキラーズの「恋の季節」。報道一筋だった私が、朝のワイドショーで唯一演出したの が、デビュー直後の今陽子さんとキラーズの「恋の季節」だったのです。すぐに大ヒットしましたが、今さんの声の迫力が忘れられませ ん。

1981年に報道した「ベビーホテルキャンペーン」は児童福祉法改正のの改正を実現しましたが、私にとっては政治家へのきっかけに もなりました。国会議員への立候補を勧められたものの、映像の仕事が面白く、会社を辞める気にはならず、9年間、お断りし続けまし た。が、最後に土井たか子さんの「女性議員を増やしたいの!」の一言に心動かされ、立候補を決意しました。しかし会社の同僚も友達も 親類縁者も、政治家になることには大反対。その中で、唯一反対しなかったのが母です。その一言は、「やりたいのならやれば」。素直に なって決心しました。選んだのはビートルズの「Let it be」、当時の私の心境にピッタリの曲です。
2001年、千葉県の知事に就任しました。選挙応援に来てくれた喜納昌吉さんが「千葉に暁子の花を咲かそう」と、集まった人々と一緒 に熱唱。この時代の代表歌には迷うことなく喜納さんの「花」を選びました。
2009年、77歳で知事の職を辞め、やっと自由になりました。NPO活動をしたり、古い友達と再会したり、楽しい毎日を過ごしてい ます。まさに「Going My Way」の毎日です。なので、最後の曲には「My Way」を選びました。

86歳になって不思議に思うのですが、人生はこれからという心境です。今までお世話になり親しくしていただいた多くの方々のお陰だ と思つています。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

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