堂本あき子なの花日記 No.217
明治150年、そして今思うこと。
2018年11月1日

みなさまこんにちは。堂本暁子です。ご無沙汰いたしております。

最近はあまり講演をしないのですが、先月は10月28日(日)に、七夕まつりで有名な千葉県の茂原市で「男女共同参画と我が人生〜戦前・戦中・戦後を生きて」という、いささか大げさなタイトルで話をしました。

今年は明治150年。茂原の郷土博物館の展示で私がとても興味を持ったのは、明治〜大正時代に市内を通った最初の鉄道の写真でした。なんと人が車両を押す「人車」で、シルクハットをかぶった洋装の男性が窓のなかには見え、大きくはないのですが、10人ぐらいは乗れそうな車両を制服姿の職員が押しているのです。
当時、イギリスからきた技術者に日本は学んだそうで、時代の最先端を行く鉄道だったのでしょう。

★「茂原・長南間人車軌道」(明治42年〜大正14年)の記事

たまたま、講演の3日前の25日に、私は兵庫県の明石市に仕事で日帰り出張をしました。片道4時間。一昔前なら1泊するところです。150年の間、これでもか、これでもかとスピードを追求し、リニアモーターカーは東京・名古屋間を1時間で結ぶとのことですが、人間の身体のリズムとかけ離れてきている、と感じます。
便利にはなりますが、はたして人間にとってより住みやすい社会になっているのでしょうか。

朝日新聞社を50歳で退職し、アフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんの「超節電生活」の話を聞きました。掃除機、洗濯機、電子レンジぐらいはわかるのですが、冷蔵庫も持たない、食材は使い切る量しか買わない、余った野菜は日干しにする、電気代は月200円が目標と聞き、驚きました。
確かに、私も野菜は買いすぎて、腐らせることもしばしば。北海道の地震でブラックアウトした時は、大量の食材が腐って大騒ぎでしたし、スーパーの食品が売り切れで「餓死するかと思った」人すらいて、現代人は災害に耐える生活力がなく、実に弱い存在。
稲垣えみ子さんは「日常が『日々是災害』のごとき暮らし」「便利に人生を乗っ取られるなんて本末転倒です」と書いています。

よくよく考えてみると、戦前はもちろんのこと、戦後もしばらくは我が家にも冷蔵庫はありませんでした。戦時中、信州の疎開先では家の裏の小川が冷蔵庫でした。春は山菜を取り、さつま芋の茎まで食べ、実に粗食でしたが、自然に近い生活。不便でしたが、自然の豊かさを享受しました。

1932年にアメリカで生まれ、現在までの86年の人生を振り返りながら、ある種、文明論のような話をしました。
思い出ではなく、振り返りながら将来を見つめ、希望を託しました。

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